海と山に恵まれた青森県は、津軽国定公園の千畳敷、下北半島の仏ヶ浦など海岸の景勝地をはじめ、世界遺産である白神山地のほか、八甲田山、十和田湖・奥入瀬渓流、小川原湖など、変化に富んだ自然に囲まれています。良質の温泉も数多く、名湯・秘湯といわれる温泉が県内に点在しています。また、青森県は縄文時代遺跡の宝庫で、津軽地方で発見された三内丸山遺跡や亀ヶ岡遺跡など、旧跡名所がたくさんあります。一方、青森県といえば「ねぶた・ねぷた祭」が有名で、毎年8月になると青森市や弘前市などの津軽地方一円や、下北地方の各地で「ねぶた・ねぷた」祭が行なわれています。そして、言わずと知れた日本屈指の霊場、比叡山や高野山と並び日本三大霊山の一つとされる「恐山(おそれざん)」(下北半島)があります。
十和田湖/奥入瀬渓流(おいらせけいりゅう) 十和田湖は活火山の十和田火山の火山活動でできた湖です。5つの観光エリアがありますが、一番人気は「奥入瀬渓流エリア」です。奥入瀬渓流は十和田湖東岸の子ノ口(ねのくち)から北東に、焼山(やけやま)までの約14kmにわたる奥入瀬川の渓流で、渓流沿いの散策路は「車道」と「歩道」の2種類が完備されています。
【ハイキングの楽しみ方】
奥入瀬の渓流ハイキングは、流れてくる川を眺めながら、下流から上流に向かって歩くのがお勧めです。下流の出発点は、焼山です。焼山には「奥入瀬渓流館及び湧水館」と「渓流の駅 おいらせ」に無料駐車場があり、車はここに駐車して、終点の子ノ口を目指します。終点の子ノ口から出発点の焼山へはバスに乗って戻ります。行程は約14kmあり、およそ4時間~5時間かかります。遊歩道は整備されていますので、登山靴は不要で、歩きやすい スニーカー等がお勧めです。焼山から石ヶ戸(いしけど)の手前の「三乱の流れ(さみだれのながれ)」までは、穏やかな流れで静かでのんびりとした散策が楽しめます。三乱の流れからは、流れに緩急の差がダイナミックになり、渓流の静と動のコントラストがが楽しめます。特に石ヶ戸から「玉簾の滝(たまだれのたき)」までの間は、奥入瀬渓流のポスターなどでよく目にする「阿修羅の流れ」や「白銀の流れ(しろがねのながれ)」など、流れの激しい人気スポットが目白押しとなります。
神秘の十和田湖のご紹介
十和田湖畔散策マップ(地域別・目的別)
「奥入瀬渓流エリア」スケッチマップ
白神山地/十二湖(じゅうにこ) 白神山地は、1000m級の山々が連なり、秋田県北西部と青森県南西部にまたがる約13万ヘクタールもある広大な山岳地帯です。原生的なブナ天然林が世界最大級の規模で分布していることから、1993年に日本で初めて「世界自然遺産」に登録されました。宮崎駿監督のジブリ映画「もののけ姫」の舞台として、屋久島とともにモデルになったことでも有名です。十二湖は、標高150m~250mの起伏の多い台地に点在する、33湖沼群の総称で、大崩(おおくずれ)の展望地から見下ろすと12の池が見えるので十二湖と呼ばれています。
【十二湖散策おすすめコース】
十二湖散策コースのスタート地点は、JR十二湖駅から車で約15分にある、「森の物産館キョロロ」です。池の形が鶏のトサカの形をしている「鶏頭場の池(けとばのいけ)」の岸を歩き、階段を上ると10分ほどで、神秘的な群青色をした「青池(あおいけ)」に到着。青池の青さがもっとも映えるのは、晴れの日で絶妙な光が差し込む午前11時前後とされています。青池から階段を登った先に現れるのが「ブナ自然林」で、その先15分ほど歩くと、「沸壺の池(わきつぼのいけ)」があります。池のほとりの木々の根元などから水が湧き出ていて、これが名前の由来と考えられています。水深が青池より浅いため透明度が高く、水底まで見えています。沸壺の池から約250m離れた車道脇に、「平成の名水百選」に選ばれている「沸壺池の清水」で点てたお抹茶とお茶菓子がいただける「十二湖庵」があります。足休めとしてしばしご休息をお愉しみください。十二湖庵の前にある「落口の池(おちぐちのいけ)」を堪能してから車道を上ると、散策コース出発点の駐車場に戻ります。一周およそ1時間~1時間30分です。
世界自然遺産白神山地のご紹介
十二湖散策コース
十二湖散策の風景(アオーネ白神十二湖より)
弘前公園 弘前公園は、弘前藩主津軽家の代々の居城、弘前城の敷地に広がっています。園内のシンボルである三層の天守は、江戸時代に築かれ現在までその姿を留める、全国でも数少ない貴重な建築物です。城門や櫓、濠など当時を偲ばせるたくさんの遺構や、春のさくらまつり、秋の紅葉まつり、冬の雪燈籠まつりなど、 季節に合わせて様々なイベントが催される、弘前市民の憩いの場となっています。
【弘前城】
津軽統一を成し遂げた津軽為信(ためのぶ)によって慶長8年(1603年)に計画され、二代目信枚(のぶひら)が慶長15年(1610年)、築城に着手し、翌16年に完成しました。以後、弘前城は津軽氏の居城として、廃藩に到るまでの260年間、津軽藩政の中心地として使用されました。弘前城は、東西約600m、南北約1000m、面積約50haの中に、三重の濠(ほり)と土塁(どるい)に囲まれた6つの郭(くるわ)から構成されています。城内には、天守閣、櫓(やぐら)3棟、城門5棟が残され、いずれも重要文化財に指定されています。また、城跡は築城当初の形態が良くのこされており、昭和27年に国の史跡として指定を受けました。
弘前公園・公式サイト
青森ねぶた祭 「青森ねぶた祭」は、人口30万人の青森市で、8月の初旬(8月2~7日)の6日間に、のべ300万人以上の観光客が集まるお祭りです。最大のものになると幅約9m、高さ約5m、奥行き約8m、重さ約4トンという巨大な像の載った山車が市内の大通りを練り歩きます。装飾に使われる電球の数は600~800個ほど、総容量にして2万キロワットにもなり、回転したり前後にうねったりしながら、光り輝く透過体となって目抜き通りを突き進んでいく様は、とても幻想的です。
ねぶた祭りは、もとはお盆の「灯籠流し」や「七夕祭り」から始まったといわれています。現在のように決まったルートで大型運行されるようになる前は、門戸を訪れた人々、特に子供たちがその家の人々にむかってロウソクやお菓子、振る舞い酒、はたまた祭りの寄付金などをねだる際に「出せ出せ、いっぺぇ(いっぱい)出せ」と調子をつけた掛け声をかけていました。それが次第に変化して、「らっせ、アー(掛け声)、らっせー」となり、いつしか「ラッセーラー、ラッセーラー」という、今のような形になったといわれています。「青森ねぶた祭」のほか、弘前市の「弘前ねぷたまつり」、五所川原市の「五所川原立佞武多(たちねぷた)」を合わせて、3大ねぶた祭りと呼ばれています。
青森ねぶた祭・公式サイト
三内丸山遺跡(さんないまるやま) 三内丸山遺跡は、今から約5900年前~4200年前の縄文時代の集落跡で、日本最大級とされています。新青森駅から車で約10分に位置し、遺跡には、竪穴住居跡、掘立柱建物跡などのほかに、ゴミ捨て場、大人・子どもの墓などがあり、集落の形成や規律をもって生活していた様子が見られます。遺跡は自由見学で要所には案内板もありますが、無料の定時ガイド(ボランティアガイド)に案内していただくことをお勧めします(所要時間は1時間程度)。
三内丸山遺跡・公式サイト
亀ヶ岡遺跡 正式名称は、亀ヶ岡石器時代遺跡です。JR五能線の木造駅からバスで約20分。青森県つがる市にある縄文時代晩期(紀元前1000年~紀元前300年頃)の集落遺跡で、遺跡の範囲は、津軽半島を流れる岩木川左岸の丘陵(亀山地区)と、これを挟み込むように位置する北側の低湿地(近江野沢地区)と南側の低湿地(沢根地区)を含むエリアとなります。丘陵部の亀山地区からは土坑墓の並ぶ墓域が、低湿地からは土偶、漆塗り土器や緻密な文様が施された造形的に優れた土器などが発掘されています。とくに出土した土器や土偶は縄文時代晩期を象徴する貴重なもので、「亀ヶ岡文化」という名を生んでいます。明治20年、沢根地区から出土した左脚を欠いた大型土偶は、目を大きくデフォルメしたもので、北方民族のイヌイットが雪中の光除けに着用した「遮光器」に似ていることから「遮光器土偶」と通称されています。国の重要文化財に指定され、東京国立博物館に収蔵されています(常設展示ではありません)。
三内丸山遺跡(青森市)、小牧野遺跡(青森市)、大湯環状列石(秋田県鹿角市)、伊勢堂岱遺跡(秋田県北秋田市)などと並び、世界遺産登録を目ざす「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産になっています。
亀ヶ岡石器時代遺跡のご案内
月-金:09:00~19:00
土日祝:10:00~17:00
〒598-0093大阪府泉南郡田尻町
りんくうポート北5番6