東北地方は青森県・岩手県・秋田県・山形県・宮城県・福島県の6つの県からなります。自然が豊かで、四季折々の美しさを楽しむことができます。春には桜や花が咲き誇り、夏には新緑が茂ります。夏は涼しく過ごしやすく、秋には紅葉、冬には白銀の雪景色を見ることができ、一年を通して日本の風物を満喫できます。どの県も海に面しているため、新鮮な海鮮料理を楽しむことができます。また、果物栽培も盛んで、山形県のさくらんぼや青森県のリンゴは特に有名です。日本でも有数の絶景観光スポットも東北地方にはあり、世界遺産「白神山地」や「平泉」、日本一深い湖「田沢湖」、日本三景「松島」、日本三大鍾乳洞「龍泉洞」などがよく知られています。そして、夏には東北三大祭り「青森ねぶた祭り」「秋田竿燈まつり」「仙台七夕まつり」が行われます。また、山形県の「銀山温泉」や秋田県の「乳頭温泉」、宮城県の「蔵王温泉」など人気の天然温泉があり、東北地方ならではの雪景色を見ながら露天風呂を満喫することができます。
海と山に恵まれた青森県は、津軽国定公園の千畳敷、下北半島の仏ヶ浦など海岸の景勝地をはじめ、世界遺産である白神山地のほか、八甲田山、十和田湖・奥入瀬渓流、小川原湖など、変化に富んだ自然に囲まれています。良質の温泉も数多く、名湯・秘湯といわれる温泉が県内に点在しています。また、青森県は縄文時代遺跡の宝庫で、津軽地方で発見された三内丸山遺跡や亀ヶ岡遺跡など、旧跡名所がたくさんあります。一方、青森県といえば「ねぶた・ねぷた祭」が有名で、毎年8月になると青森市や弘前市などの津軽地方一円や、下北地方の各地で「ねぶた・ねぷた」祭が行なわれています。そして、言わずと知れた日本屈指の霊場、比叡山や高野山と並び日本三大霊山の一つとされる「恐山(おそれざん)」(下北半島)があります。
十和田湖/奥入瀬渓流(おいらせけいりゅう) 十和田湖は活火山の十和田火山の火山活動でできた湖です。5つの観光エリアがありますが、一番人気は「奥入瀬渓流エリア」です。奥入瀬渓流は十和田湖東岸の子ノ口(ねのくち)から北東に、焼山(やけやま)までの約14kmにわたる奥入瀬川の渓流で、渓流沿いの散策路は「車道」と「歩道」の2種類が完備されています。
【ハイキングの楽しみ方】
奥入瀬の渓流ハイキングは、流れてくる川を眺めながら、下流から上流に向かって歩くのがお勧めです。下流の出発点は、焼山です。焼山には「奥入瀬渓流館及び湧水館」と「渓流の駅 おいらせ」に無料駐車場があり、車はここに駐車して、終点の子ノ口を目指します。終点の子ノ口から出発点の焼山へはバスに乗って戻ります。行程は約14kmあり、およそ4時間~5時間かかります。遊歩道は整備されていますので、登山靴は不要で、歩きやすい スニーカー等がお勧めです。焼山から石ヶ戸(いしけど)の手前の「三乱の流れ(さみだれのながれ)」までは、穏やかな流れで静かでのんびりとした散策が楽しめます。三乱の流れからは、流れに緩急の差がダイナミックになり、渓流の静と動のコントラストがが楽しめます。特に石ヶ戸から「玉簾の滝(たまだれのたき)」までの間は、奥入瀬渓流のポスターなどでよく目にする「阿修羅の流れ」や「白銀の流れ(しろがねのながれ)」など、流れの激しい人気スポットが目白押しとなります。
神秘の十和田湖のご紹介
十和田湖畔散策マップ(地域別・目的別)
「奥入瀬渓流エリア」スケッチマップ
白神山地/十二湖(じゅうにこ) 白神山地は、1000m級の山々が連なり、秋田県北西部と青森県南西部にまたがる約13万ヘクタールもある広大な山岳地帯です。原生的なブナ天然林が世界最大級の規模で分布していることから、1993年に日本で初めて「世界自然遺産」に登録されました。宮崎駿監督のジブリ映画「もののけ姫」の舞台として、屋久島とともにモデルになったことでも有名です。十二湖は、標高150m~250mの起伏の多い台地に点在する、33湖沼群の総称で、大崩(おおくずれ)の展望地から見下ろすと12の池が見えるので十二湖と呼ばれています。
【十二湖散策おすすめコース】
十二湖散策コースのスタート地点は、JR十二湖駅から車で約15分にある、「森の物産館キョロロ」です。池の形が鶏のトサカの形をしている「鶏頭場の池(けとばのいけ)」の岸を歩き、階段を上ると10分ほどで、神秘的な群青色をした「青池(あおいけ)」に到着。青池の青さがもっとも映えるのは、晴れの日で絶妙な光が差し込む午前11時前後とされています。青池から階段を登った先に現れるのが「ブナ自然林」で、その先15分ほど歩くと、「沸壺の池(わきつぼのいけ)」があります。池のほとりの木々の根元などから水が湧き出ていて、これが名前の由来と考えられています。水深が青池より浅いため透明度が高く、水底まで見えています。沸壺の池から約250m離れた車道脇に、「平成の名水百選」に選ばれている「沸壺池の清水」で点てたお抹茶とお茶菓子がいただける「十二湖庵」があります。足休めとしてしばしご休息をお愉しみください。十二湖庵の前にある「落口の池(おちぐちのいけ)」を堪能してから車道を上ると、散策コース出発点の駐車場に戻ります。一周およそ1時間~1時間30分です。
世界自然遺産白神山地のご紹介
十二湖散策コース
十二湖散策の風景(アオーネ白神十二湖より)
弘前公園 弘前公園は、弘前藩主津軽家の代々の居城、弘前城の敷地に広がっています。園内のシンボルである三層の天守は、江戸時代に築かれ現在までその姿を留める、全国でも数少ない貴重な建築物です。城門や櫓、濠など当時を偲ばせるたくさんの遺構や、春のさくらまつり、秋の紅葉まつり、冬の雪燈籠まつりなど、 季節に合わせて様々なイベントが催される、弘前市民の憩いの場となっています。
【弘前城】
津軽統一を成し遂げた津軽為信(ためのぶ)によって慶長8年(1603年)に計画され、二代目信枚(のぶひら)が慶長15年(1610年)、築城に着手し、翌16年に完成しました。以後、弘前城は津軽氏の居城として、廃藩に到るまでの260年間、津軽藩政の中心地として使用されました。弘前城は、東西約600m、南北約1000m、面積約50haの中に、三重の濠(ほり)と土塁(どるい)に囲まれた6つの郭(くるわ)から構成されています。城内には、天守閣、櫓(やぐら)3棟、城門5棟が残され、いずれも重要文化財に指定されています。また、城跡は築城当初の形態が良くのこされており、昭和27年に国の史跡として指定を受けました。
弘前公園・公式サイト
青森ねぶた祭 「青森ねぶた祭」は、人口30万人の青森市で、8月の初旬(8月2~7日)の6日間に、のべ300万人以上の観光客が集まるお祭りです。最大のものになると幅約9m、高さ約5m、奥行き約8m、重さ約4トンという巨大な像の載った山車が市内の大通りを練り歩きます。装飾に使われる電球の数は600~800個ほど、総容量にして2万キロワットにもなり、回転したり前後にうねったりしながら、光り輝く透過体となって目抜き通りを突き進んでいく様は、とても幻想的です。
ねぶた祭りは、もとはお盆の「灯籠流し」や「七夕祭り」から始まったといわれています。現在のように決まったルートで大型運行されるようになる前は、門戸を訪れた人々、特に子供たちがその家の人々にむかってロウソクやお菓子、振る舞い酒、はたまた祭りの寄付金などをねだる際に「出せ出せ、いっぺぇ(いっぱい)出せ」と調子をつけた掛け声をかけていました。それが次第に変化して、「らっせ、アー(掛け声)、らっせー」となり、いつしか「ラッセーラー、ラッセーラー」という、今のような形になったといわれています。「青森ねぶた祭」のほか、弘前市の「弘前ねぷたまつり」、五所川原市の「五所川原立佞武多(たちねぷた)」を合わせて、3大ねぶた祭りと呼ばれています。
青森ねぶた祭・公式サイト
三内丸山遺跡(さんないまるやま) 三内丸山遺跡は、今から約5900年前~4200年前の縄文時代の集落跡で、日本最大級とされています。新青森駅から車で約10分に位置し、遺跡には、竪穴住居跡、掘立柱建物跡などのほかに、ゴミ捨て場、大人・子どもの墓などがあり、集落の形成や規律をもって生活していた様子が見られます。遺跡は自由見学で要所には案内板もありますが、無料の定時ガイド(ボランティアガイド)に案内していただくことをお勧めします(所要時間は1時間程度)。
三内丸山遺跡・公式サイト
亀ヶ岡遺跡 正式名称は、亀ヶ岡石器時代遺跡です。JR五能線の木造駅からバスで約20分。青森県つがる市にある縄文時代晩期(紀元前1000年~紀元前300年頃)の集落遺跡で、遺跡の範囲は、津軽半島を流れる岩木川左岸の丘陵(亀山地区)と、これを挟み込むように位置する北側の低湿地(近江野沢地区)と南側の低湿地(沢根地区)を含むエリアとなります。丘陵部の亀山地区からは土坑墓の並ぶ墓域が、低湿地からは土偶、漆塗り土器や緻密な文様が施された造形的に優れた土器などが発掘されています。とくに出土した土器や土偶は縄文時代晩期を象徴する貴重なもので、「亀ヶ岡文化」という名を生んでいます。明治20年、沢根地区から出土した左脚を欠いた大型土偶は、目を大きくデフォルメしたもので、北方民族のイヌイットが雪中の光除けに着用した「遮光器」に似ていることから「遮光器土偶」と通称されています。国の重要文化財に指定され、東京国立博物館に収蔵されています(常設展示ではありません)。
三内丸山遺跡(青森市)、小牧野遺跡(青森市)、大湯環状列石(秋田県鹿角市)、伊勢堂岱遺跡(秋田県北秋田市)などと並び、世界遺産登録を目ざす「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産になっています。
亀ヶ岡石器時代遺跡のご案内
岩手の三陸海岸沿いのとある町を舞台にしたNHK連続テレビ小説「あまちゃん」が放送されて以降、東北の中でも人気の観光スポットとなっている岩手県。北海道に次いで広い面積を誇り、世界遺産の「平泉」をはじめ、リアス式海岸で知られる「浄土ヶ浜」、神秘的な地底湖「龍泉洞」や「厳美渓」など、歴史的建造物やたくさんの景勝地があります。日本最大級の牧場「小岩井農場」では、動物とのふれ合いや屋外アクティビティも満喫でき、家族連れにも大人気です。また、岩手県は、民間伝承や逸話・伝説が残る地としても有名で、「義経=チンギス・ハン説(義経北行伝説)」や、柳田國男の『遠野物語』の舞台でもあり、昭和の頃まで河童(かっぱ)の目撃談が多数寄せられるなど、ワクワク!ドキドキ!が盛だくさんのところです。
龍泉洞(りゅうせんどう) 岩泉町にある龍泉洞は日本三大鍾乳洞の一つとされ、また洞内に棲むコウモリと共に国の天然記念物に指定されています。洞内総延長は知られている所で4,088mで、そのうち700mが公開中。 見つかっている地底湖は8つで、そのうち3つが公開中。 現在も調査が継続中で未知の部分もまだまだ多く、総延長は5,000m以上ではないかと言われています。2010年に改修工事が行われ、LED照明を洞内に採用するなど一段と見やすくリニューアルが行われました。「龍泉洞」の見どころは、その造形美と世界に誇る透明度をもつ地底湖です。入口を入るとすぐ、龍が通ってできたという細長く続く直線的な「百間廊下(ひゃっけんろうか)」があります。複雑な構造の洞窟をさらに奥に進むと自然による見事な鍾乳石の造形が次々と現れます。さらに月の世界にいるかのような「月宮殿」と呼ばれる広い空間を過ぎると、メインの地底湖へと差し掛かっていきます。とにかく世界有数というその透明度には目を奪われます。第一地底湖は水深35m、第二地底湖は水深38m、そして観光コースの最奥部、第三地底湖は水深98m!この第三地底湖の透明度は世界有数の45mとされ、覗き込めばいったいどこまで続いているのか分からないくらいの深さに驚くことでしょう。ちなみに「龍泉洞の水」は2009年度モンドセレクションで最高金賞を受賞した世界に認められた名水です。
龍泉洞・公式サイト
世界遺産・平泉 世界遺産の平泉は岩手県の南西部にあります。その歴史は「前九年の役」「後三年の役」を経て11世紀末に奥州藤原氏初代当主である清衡(きよひら)が平泉に館を移し、戦により命を落としたすべての人々の霊を弔うために中尊寺(ちゅうそんじ)を建立したことに始まるといわれています。その後、二代目の基衡(もとひら)、三代目の秀衡(ひでひら)が平泉の街づくりをさらに発展させていき、12世紀末に奥州藤原氏が滅亡してからは堂塔が次々と焼失してしまいましたが、残った建物は遺跡として平泉の人々に守られ続けてきました。「平泉の文化遺産」は、中尊寺をはじめ、毛越寺(もうつうじ)、観自在王院跡(かんじざいおういんあと)、無量光院跡(むりょうこういんあと)、金鶏山(きんけいさん)の5つの資産によって構成されています。
【中尊寺(ちゅうそんじ)】
850年(嘉祥3年)に慈覚大師によって創建されたといわれており、12世紀初頭に藤原清衡(奥州藤原氏の初代当主)が造営に着手した天台宗の一山寺院です。国宝に指定されている金色堂は1124年(天治元年)に上棟されたといわれている阿弥陀堂で、世界遺産委員会からは「重厚に金箔を押した中尊寺金色堂は、12世紀から残る唯一のものであり、奥州藤原氏の巨大な富を反映している」と評価されています。
【毛越寺(もうつうじ)】
同時期に慈覚大師により創建されましたが、度重なる火災により建物は焼失。奥州藤原氏の二代目当主の基衡、および三代目の秀衡が伽藍(がらん)を再興しましたが、その後も火災により焼失し、現在では浄土庭園や伽藍遺構が良好な保存状態で残されています。毛越寺庭園には東西約180メートル、南北約90メートルの「大泉が池」があり、平安時代の典型的な浄土庭園の姿を見ることができます。浄土庭園とは、平安時代から鎌倉時代にかけて築造された日本庭園で、極楽浄土の世界を表現しています。
平泉の文化遺産・公式サイト
中尊寺・公式サイト
毛越寺・公式サイト
源義経と義経北行伝説 源義経(1159年~1189年)と平泉のつながりは、古くは牛若丸(うしわかまる)と呼ばれた幼少の頃からで、父の義朝の死後、出家して一時京都の鞍馬寺に預けられるも、僧侶になるのを嫌って奥州平泉へ逃げ込み、三代目当主の藤原秀衡にかくまわれて育った生い立ちがあります。成人した義経は、兄の頼朝が平氏打倒の兵を挙げるとそれに馳せ参じ、現在の瀬戸内海周辺で繰り広げられた源平合戦(一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦い)で、平氏討伐を果たす大活躍をして、一躍時の人(英雄)となり注目を集めました。
ところが、数々の武功を挙げたことが逆に頼朝との不和を生じさせ、追われる身となった義経は、妻子とともに最も信頼のおける藤原秀衡を頼って奥州・平泉へとやってきます。しかし、到着したその年(1187年)10月に、秀衡は亡くなってしまい、大黒柱を失った奥州藤原氏はもろくも崩れはじめ、秀衡の後を継いだ息子の泰衡は、頼朝の再三の要請に屈し、1189年4月30日に義経を急襲し、高館義経堂(たかだちぎけいどう)/衣川の館(ころもがわのたち)で、妻子とともに自害したとされています(衣川の戦い)。
ところが義経は、実は自害は見せかけで、弁慶などとともに密かに三陸から北海道へ逃れ、さらに大陸に渡って成吉思汗(チンギス・ハン)になったというのが、「義経北行伝説」です。現在の岩手から青森、そして北海道まで、義経が立ち寄ったといわれる場所が古くから伝えられており、800年以上経った現在でも人々に受け継がれています。
高館義経堂(たかだちぎけいどう)のサイト
義経北行伝説ドライブガイドのサイト
河童伝説(遠野・岩泉) 土淵町の常堅寺(じょうけんじ)の裏手を流れる小川(カッパ淵)には、その昔たくさんの河童が棲んでいたそうで、人々を驚かし悪戯をしたといわれています。『遠野物語』の中にも、小川に水を飲みに来た馬を引き込もうとする悪戯好きな河童が登場します。あるとき、馬を川に引きこもうとして、逆に引き上げられ懲らしめられた河童は、もう二度と悪さはしないと約束し、詫び証文を書いたという話も残っています。
河童伝説は日本の全国各地にあります。河童は清流を好み、一般的に肌は緑色といわれていますが、遠野の河童は赤く、『遠野物語』の59話にはこうあります。「外(ほか)の地にては河童の顔は青しというようなれど、遠野の河童は面の色赤きなり」。
岩手では遠野の河童のほかに、清流の町で知られる岩泉の河童が有名です。体長は3~4歳児ほどの大きさで、体の色は、茶色や赤茶色(馬の栃栗毛色)、皿はミカン色やコーチンの卵色など、具体的な証言が『河童を見た人びと(高橋貞子著)』にも書かれています。また、お年寄りの中には、子供の頃、小学校の帰り道に、道路脇下の沢で泳ぐ河童に遭遇し、一緒に水遊びを数回にわたって経験したという、非常に面白い証言もあります。今ではおとぎ話とされる河童伝説も、数ある証言を紐解けば、真実が浮かび上がってくる日が来るかもしれません。
カッパの里 岩泉(NHK)
遠野時間のサイト(カッパ淵)
浄土ヶ浜 浄土ヶ浜は、三陸復興国立公園の三陸ジオパークの中にある景勝地です。鋭くそそり立つ真っ白な大岩群は、約5200万年前のマグマによってできた火山岩で、その白さは二酸化ケイ素を多く含むためと考えられています。岩肌にはマグマが流れてできる模様の「流理構造」が刻まれています。浄土ヶ浜の名前は、約300年前に宮古山常安寺の霊鏡竜湖和尚がこの地の景観を称して「さながら極楽浄土のごとし」と述べたことが由来といわれています。透明度の高い海は波おだやかで、夏には多くの海水浴客が訪れます。また、冬には雪に覆われた清らかな光景を見ることができます。1996年(平成8年)には「日本の渚百選」に選ばれ、2000年(平成12年)には「日本の水浴場88選」、さらにその翌年には「日本のかおり風景百選」にも選出されています。
浄土ヶ浜の紹介
浄土ヶ浜の見どころ
厳美渓(げんびけい) 平泉町から車で約15分の位置にあり、国の名勝および天然記念物に指定される美しい渓谷です。奇岩・奇勝・滝とダイナミックな渓谷美が約2kmにわたって続き、変化に富んだ景色を眺めることができます。エメラルドグリーンの渓流に、四季折々の景色がよく映えます。
穏やかな下流を散策するコース(約30分)と、荒々しさが特徴の上流方面を散策するコース(約70分)があります。その中心となるのが「天工(てんぐ)橋」です。天工橋からは、磐井川の急流によって削られた岩肌が特徴の渓谷を一望できます。厳美渓に行ったら必ず食べたいのが、名物「空飛ぶだんご」。本来は「郭公だんご(かっこうだんご)」といい、渓谷につくられた茶屋から対岸の休憩所まで、ロープを通じて団子が空を飛んできます。団子はあん、ごま、みたらしの3種類あり、観光で空いた小腹を満たしてくれます。
厳美渓の見どころ
小岩井農場 小岩井農場まきば園は、日本最大級の民間総合農場です。観光エリアのまきば園では、ガイド付きツアーやミニチュアホースとのふれあいコーナー、バター作りなど様々な体験を楽しめることが魅力です。また、農場内にある21棟の建造物が国の重要文化財に指定され、大変貴重な農場として多くの観光客を魅了します。農場一番の目玉は質の高い小岩井農場産の素材をふんだんに使用したグルメです。なかでも生乳の風味を活かした「ソフトクリーム」や「ジェラート」は人気のメニューです。小岩井農場まきば園では、雄大な自然のなかで放牧されている羊を眺めたり、乗馬を体験することができます。羊の放牧地では、季節によって羊のエサやりや毛刈りなど、馬や羊などとふれあえるのが魅力。まきばのホール北棟ではうさぎやミニチュアホースなどとのふれあい体験ができます。乗馬体験はスタッフが馬を引いてくれるので初めての方や、小さな子供でも安心して楽しむ事ができます。また、広い園内を歩くのは疲れてしまう、といった人におすすめな乗り物が「上丸牛舎ライナー」です。山麓館前から上丸牛舎を往復するための電気自動車で、片道100円で利用することができるため移動手段として大変人気です。そのほか「トロ馬車」というアクティビティもあります。明治期から農場の主要交通機関として走っていた馬車鉄道の鉄路を使用しており、一昔前の時代にタイムスリップしたような気分を楽しめます。
小岩井農場のサイト
春は桜、夏は花火、秋は紅葉、冬は雪景色と、1年を通して観光を楽しめる「秋田県」。西は日本海、東は奥羽山脈に面していて、四季折々の日本らしい原風景などが見られます。春の桜が美しい武家屋敷「角館」、日本海の絶景広がる「男鹿半島」、さまざまな表情をみせる日本一深い「田沢湖」、東北の四季を感じられる「八幡平」などの観光スポットから、四季折々の姿を見せる「抱返り渓谷」「鳥海山」「奈曽の白滝」「元滝伏流水」等の撮影スポットまで、魅力的なスポットがたくさんあります。とくに大仙市で行われる、全国花火競技大会「大曲の花火」は全国的に知られています。また、秋田県は全国有数の温泉県であり、ミルキーなお湯が特徴の「乳頭温泉」や、湧出量と強酸性の2つの日本一を誇る「玉川温泉」など、数々の名湯・秘湯が点在しています。
角館(かくのだて) 角館は江戸時代に栄えた城下町で、半径2kmほどのコンパクトな範囲に古くからの建造物が数多く現存しており、特に武家屋敷が集まる一帯は「国の重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。このことから「みちのくの小京都」と言われ、日本の伝統が残る町として人気を集めています。特に桜の名所として名高く、見頃となる4月下旬~5月上旬には桜が薄いピンクに色づき、多くの人で賑わいます。武家屋敷の黒塀に映える、シダレザクラの桜色が風光明媚です。武家屋敷の中には400年以上もの歴史を重ねた名家があり、「角館歴史村・青柳家」として角館の歴史を知ることができる資料館となっています。秋には紅葉と武家屋敷の素敵なコラボレーションを見ることもできます。
角館の紹介
田沢湖とたつこ像 田沢湖は、日本百景にも選出された有数のビュースポットで、龍になった「辰子姫伝説」が残る地です。その昔、この地に住んでいた美しい辰子という娘が、永遠の若さと美しさを願い、泉の水を飲み干し龍になり田沢湖の主となった、という伝説です。湖畔には金色に輝く「たつこ像」が立っており、水深は一番深いところで423mもあり、太陽の加減や四季によって瑠璃色や深いブルーなどに表情を変える美しい湖として知られています。湖の周囲は約20kmで、車道も整備されており、湖を間近で眺めながらのドライブを楽しむことができます(一周約30分)。
たつこ姫伝説の紹介
抱返り渓谷 抱返り渓谷(だきがえりけいこく)は、大分県中津市にある耶馬渓(やばけい)と似ていることから、東北の耶馬渓(やばけい)と称され、両岸の原生林と岸壁にかかる滝や独特の青い渓流がとても美しく、新緑と紅葉の名所です。遊歩道が整備され、奇岩や急流、大小の滝を気軽に見ることができます。渓谷に着いて目に付くつり橋「神の岩橋」からの眺望はすばらしいです。断崖絶壁で、人がすれ違うときに、お互いを抱きかかえるようにしなければ通れなかったほど狭く険しい山道だったことから「抱返り」と名付けられました。ベストシーズンは6月中旬~8月下旬の新緑と、10月上旬~11月上旬の紅葉の頃。特に、紅葉期間中は「抱返り紅葉祭」や芸能披露や茶席なども催され、多くの人で賑わいます。
抱返り渓谷モデルコースのご案内
乳頭温泉郷 田沢湖から北東へ走った場所にある、日本有数の秘湯として温泉ファンから絶大な人気を誇る「乳頭温泉郷」。10以上も源泉が湧いており、全部で7軒のお宿がそれぞれに引いています。どこも秘湯の雰囲気が漂っており、現代日本の喧騒を忘れさせてくれます。「鶴の湯温泉・蟹場温泉・黒湯温泉・孫六温泉・大釜温泉・妙乃湯・休暇村」の七つの湯を巡る「七湯めぐり」もおすすめです。すべてを周る温泉浴は、万病に効くと言われています。各宿に宿泊の方限定で「湯めぐり帖(1,800円)」が購入できます。日帰り入浴を各温泉ですることができ、予約制のハイヤー「湯めぐり号」も無料で利用することができます。
乳頭温泉郷のサイト
大曲の花火 秋田県大仙市の「大曲(おおまがり)の花火」といえば、日本三大花火の1つで夏に行われる「全国花火競技大会」が有名です。雄物川(おものがわ)の河川敷に、全国から花火の匠が集まり、技を競い合うこの花火競技大会は、約80万人もの観客を集めています。実は「大曲の花火」は春・秋、そして冬にも開催されています。年4回の「大曲の花火」はそれぞれに個性があり、全国でも大曲だけという「昼花火」も開催され、色煙を使用した色鮮やかな花火を楽しむことができます。昼花火と夜花火を合わせると、「全国花火競技大会」は4時間超の長丁場。30近い煙火店の技術の粋を凝らした花火が次々に打ち上げられ、その見ごたえは他では味わえないものです。
大曲の花火の公式サイト
八幡平(はちまんたい) 八幡平は秋田県の東側、岩手県との県境に広がる奥羽山脈の一部を指し、広い高原にたくさんの湖や沼があります。また、トレッキングにピッタリの場所です。広大な自然を満喫するなら「八幡平アスピーテライン」がおすすめです。絶景スポット「源太岩展望所」からは、岩手山や雲海や樹海などの絶景を堪能することができます。毎年4月下旬頃には「八幡平アスピーテライン」の通行止めが解除されて、「雪の回廊」の中を進むことができます。その高さはなんと数メートルにも及びます。
鏡沼(八幡平ドラゴンアイ)/八幡平にある「鏡沼」の雪が融けはじめた頃に出現する神秘的な光景です。ブルーの水面と白い雪が龍の目のようであることから、「八幡平ドラゴンアイ」と呼ばれています。出現する期間は例年5月下旬から6月上旬くらいまでと短く、天候等の気象条件にも左右されるため、とても希少価値の高い光景です。
八幡平エリアのご案内
男鹿半島となまはげ 男鹿(おが)半島の根元には「八郎潟」という大きな湖があります。かつては琵琶湖に続き日本第二位の大きさを誇ったことで有名です。門前地区にある「なまはげ立像」は、なんと10メートル近くもあります。ナマハゲ行事は毎年、大晦日の晩に男鹿半島のほぼ全域で行われます。ナマハゲは真山・本山に鎮座する神々の使者と信じられており、年に一度各家庭を巡り、悪事に訓戒を与え、厄災を祓い、豊作・豊漁・吉事をもたらす来訪神として「怠け者はいねが。泣く子はいねが」と練り歩く、古くから伝統を受け継ぐ民俗行事です。昭和53年に「男鹿のナマハゲ」の名称で国重要無形民俗文化財に指定されています。また、男鹿半島には「ゴジラ岩」と呼ばれる人気のフォトスポットがあります(なまはげ立像から徒歩11分程度)。夕陽が沈むころになると、ゴジラのような形をした岩から火が噴かれているように見えることから、「ゴジラ岩」と呼ばれています。
男鹿のナマハゲのサイト
日本一の生産量を誇るさくらんぼを始めとして、四季折々のいろんなフルーツが楽しめる果樹王国として有名な山形県。フルーツのほかにも、「つや姫」ブランドで人気のお米や「米沢牛」で知られる牛肉など、身近に知っているおいしいものがたくさんあります。そんな山形には、南北に長く広がる雄大な自然があり、長年にわたって育まれてきた個性的な文化や歴史があります。1400年の歴史が息づくパワースポットの「出羽三山」や松尾芭蕉の足跡が残る「立石寺(=山寺)」、大正ロマンの風情溢れる「銀山温泉郷」や見事な景観が広がる「蔵王エリア」等々、山形県の魅力は尽きません。そんな山形の魅力を再発見する旅に出てみてはいかがでしょうか?
宝珠山立石寺(通称、山寺)は、860年に清和天皇の勅願により慈覚大師が開いた歴史ある天台宗のお寺です。山の麓に本堂である根本中堂(こんぽんちゅうどう)があり、そこから山門を通り山の上にあるお堂を目指すという、通常のお寺とは少し異なったお参り方法になります。江戸時代には俳諧師として有名な松尾芭蕉も訪れ、『奥の細道』の有名な句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を残しています。
1015段もある長い石段を登って、奥之院を目指すのが王道の参拝ルートです。この石段は登ることにより煩悩が消滅すると言われてます。まずは登山口からほど近い場所に位置する「根本中堂」へ。国内最古のブナ材木造建築とされ、国の重要文化財に指定されています。「弥陀洞(みだほら)」は、雨風に削られた岩壁に仏の姿を見つけることができた人は幸せになれるとされるパワースポット。邪心を持つ人がくぐらぬように2体の仁王像がにらみをきかせている「仁王門」を過ぎ、「開山堂・納経堂」へ。雄大な山々を背景に赤い納経堂が巨大な奇岩の上に建つ様は、山寺を代表する眺めです。能の舞台のようなお堂の奥から田園風景を見渡せる「五大堂」も山寺随一のビュースポット。最終地点にあたる「奥之院・大仏殿」は悪縁切りのご利益があるとされています。
宝珠山立石寺の公式サイト
出羽三山(でわさんざん)とは、「羽黒山(はぐろさん)・月山(がっさん)・湯殿山(ゆどのさん)」の三山からなり、それぞれの山は「現在・過去・未来」を表し、この三山を巡ることは「生まれかわりの旅」とされています。出羽三山の開祖は、飛鳥時代の崇峻(すしゅん)天皇の第三皇子「蜂子皇子(はちこのおうじ)」で、592年に蘇我馬子により父の崇峻天皇は暗殺され、聖徳太子の手引きにより現在の山形県鶴岡市由良まで逃避し、その後、三本足の烏(ヤタガラス)に導かれて、羽黒山で出羽三山を開いたといわれています。月山と湯殿山は冬は雪のため参拝も祭典もできないため、三山の祭典はすべてここ「三神合祭殿」で執り行い、ここを参拝すれば三山を巡ったことになるとされています。
現世を表わす羽黒山の参拝は、「随神門(ずいしんもん)」から出発し、出羽神社/三神合祭殿(さんじんごうさいでん/月山・羽黒山・湯殿山の三神を合祭した大社殿)がある山頂まで2446段の石段を登り下りする、片道1時間ほどのお参りです(車で山頂まで行く道も整備されています)。国宝の羽黒山五重塔まで、随神門から歩いて片道約15分です。
羽黒山参拝 半日コース
世界が認めた霊山を歩く「出羽三山参り」
羽黒山 五重塔(国宝)
羽黒山五重塔は東北地方では最古の塔といわれ、平将門の創建と伝えられています。現在の塔は、約600年前に再建されたものといわれ、その建築様式から、鎌倉・室町時代のものとみられています。
高さは29.4m。杉材による三間五層の素木造り(しらきづくり)で、屋根は杮葺(こけらぶき)という伝統的な手法で建てられており、日本に数ある五重塔の中でも、東北で唯一国宝に指定されている、とても貴重な美塔です。五重塔は、下から「地・水・火・風・空」の5つの世界を構成する仏教的な宇宙観「五大思想」を現わしています。羽黒山五重塔は、仏教的な世界観を現す建立物ですが、この世とあの世を司る神、大国主命(おおくにぬしのみこと)が祀られています。
羽黒山 五重塔のご案内
月山(がっさん)と弥陀ヶ原湿原
出羽三山の主峰である月山は、月読命(つきよみのみこと)を祀り、月を象徴する神として死後の世界からの蘇りを司っています。霊山である一方、「日本百名山」「花の百名山」のひとつでもあり、ゆるやかな稜線上で花々や眺望を楽しめる名山です。月山八合目駐車場から山頂まで片道約3時間です。「弥陀ヶ原(みだがはら)湿原」の遊歩道、「行者返し」と呼ばれる岩場を過ぎて辿り着く、標高1,984mの山頂からの眺めは、遠く日本海を望む大パノラマが広がる絶景です。山岳信仰の場として栄えた月山では、今もなお白装束で登頂する人々が少なくありません。頂上の月山神社本宮内は古来より特別な神域につき、撮影は禁止です。参詣にあたっては宮司にお祓いを受ける必要があります。
月山八合目(標高1400m)付近にある「弥陀ヶ原湿原」は、日本でも有数の高山植物の宝庫と言われています。整備された木歩道にそって空中の自然散策が楽しめます(一周約60分)。最盛期の6月~8月にはニッコウキスゲやチングルマなど、130種類以上もの花が咲き乱れます。秋には草紅葉が一面に広がり、まるで黄金色の絨毯の上を歩いているかのような幻想的な雰囲気です。
登山には、登山靴、防寒具、レインコートなどの登山装備が必要です。※開山期間:7月1日~8月31日
月山神社のご案内
月山登山 弥陀ヶ原 山頂コース
湯殿山(ゆどのさん)
湯殿山は、標高1,500mで月山に連なり、伊勢・熊野と並ぶ三大霊場のひとつです。古来より出羽三山の奥の院とされ、月山や羽黒山で修業を積んだ山伏が最後に修行に入る山で、湯殿山神社本宮は厳しい戒めで知られています。写真撮影禁止であるだけでなく、昔から「語るなかれ」「聞くなかれ」と言われ、中で何が行われているかを口外することさえ固く禁じられてきたミステリアスな神社です。また、境内は俗世とは切り離された神域につき、土足厳禁。土と石が混ざる参道を素足で歩くことで、山の大地のパワーを直に感じられるかもしれません。
湯殿山神社には社殿がなく、ご神体は熱湯の湧き出る茶褐色の巨大な岩(霊巌)です。参拝するためにはお祓いを受ける必要があります。お祓いを受けて案内された先で参拝者はやっとご神体を拝むことができます。一方で湯殿山は「恋の山」とも呼ばれていて、縁結びスポットとしても有名。ここ湯殿山でしか手に入れることができない「恋の山守り」は縁結びのお守りとして、女性に人気のお守りです。
江戸時代には、「西の伊勢参り」に対して、「東の奥参り(=出羽三山)」と称して、両方をお参りすることが「人生儀礼」の一つとされ、全国からの参拝者で賑わいました。
鶴岡駅からバスで85分。※開山期間:5月1日~11月上旬頃
湯殿山神社のご案内
銀山温泉 大正ロマンの風情溢れる温泉郷。NHK連続テレビ小説『おしん』の舞台となったことで一躍脚光を浴び、全国的にその名を知られることになった銀山温泉は、山形県尾花沢の山間部に位置します。かつて、この地には延沢銀山があり、銀の産出地として栄え、その鉱夫が発見したことから歴史がスタートし、知る人ぞ知る名湯として認知されるようになりました。しかし江戸時代、銀山の閉山にあたって、温泉街への方向転換が行われ、その際の名残が今まで受け継がれています。温泉街自体はこぢんまりとしているものの、木造多層の洋風旅館が軒を連ねる景観は見応え抜群です。特に冬の季節には、雪と温泉街のコラボレーションが美しいと話題で、多くの観光客が銀山温泉を訪れます。
銀山温泉のご案内
蔵王温泉とトレッキング 蔵王温泉は、開湯1900年の歴史を誇る日本最古の温泉地のひとつです。泉質は強酸性の硫黄泉で、泉質が似ているため「東北の草津」とも称されます。滞在中は、趣のある温泉街の湯めぐりや自然散策・トレッキング、冬はスキーや樹氷見学など「総合マウンテンリゾート」として、一年中アクティブに楽しむことができます。温泉街から10分ほど歩くと、山の眺望が素晴らしい「鴫の谷地沼(しぎのやちぬま)」があります。一周約1.5キロの散策コースで、坂もほとんどなく、自然の中をちょっと散歩したいという場合におすすめです。また、気持ちよくトレッキングが楽しめるコースもあります。「ドッコ沼」や「観松平(かんしょうだいら)」「不動の滝」など景勝地もたくさん点在し、四季折々の風景を見ることができます。
蔵王ロープウェイの「蔵王山頂駅」からは「蔵王自然公園」や「地蔵山」経由で「お釜」へ、「樹氷高原駅」からは「観松平(かんしょうだいら)」や「いろは沼」へ、蔵王中央ロープウェイや蔵王スカイケーブルからは「ドッコ沼」や「不動の滝」「鳥兜山(とりかぶとやま)」などへ行くのに便利です。
蔵王温泉のご案内
蔵王トレッキング (蔵王ロープウェイ)
上杉神社 上杉神社は、戦国最強の武将といわれる「上杉謙信」を祭神として、米沢城の本丸跡に建立されています。上杉謙信にあやかって開運招福や諸願成就、さらには学業成就や商売繁盛のご利益もあるとされるパワースポットです。参道にある舞鶴橋には「毘」と「龍」という文字が書かれた軍旗が翻ります。「毘」は上杉謙信が毘沙門天を厚く信仰していたことに由来。「龍」は不動明王を表し、全軍総攻撃をする際に突撃の合図として掲げられた旗と言われています。仏教を篤く信仰した上杉謙信は、合戦に際して毘沙門天と不動明王という最強の両神を味方につけて戦ったとされます。「なぜば成る なさねば成らぬ 何事も」の言葉で知られる上杉鷹山が祭神として祀られている「松岬(まつがさき)神社」は上杉神社の摂社です。上杉神社のほど近くにありますので、ぜひ合わせてお参りください。
松岬神社のご案内
宮城県は、東は太平洋、西は奥羽山脈(おううさんみゃく)に面し、豊かな自然に囲まれています。そのため、ササニシキやヒトメボレといったブランド米に代表される農業、142の漁港を有する漁業、仙台牛に代表される畜産業など、自然を活かした産業が盛んにおこなわれています。歴史的には、17世紀に戦国武将・伊達政宗が仙台の地を治めていたことで有名です。今でも伊達家にちなんだスポットが数多く残されています。また、日本三景の一つである松島や、日本有数の温泉郷である鳴子峡(なるこきょう)、迫力満点の秋保大滝(あきうおおたき)など多くの魅力的な観光スポットがあります。
仙台城 仙台城の城主は、黒塗りの兜に大きな金の三日月と独眼竜の異名を持つ、戦国の大武将「伊達政宗」です。別名「青葉城」と呼ばれています。天守閣を持たない城は、広瀬川と竜口渓谷の断崖に囲まれ、青葉山から張り出した標高130m、比高90mの広い尾根の先端に、本丸は置かれました。東側が広瀬川を臨む断崖であり、西側を「御裏林(おうらばやし)」と呼ばれる山林、南側を竜ノ口渓谷が囲むという天険の要害をたくみに利用した平山城(ひらやまじろ)です。現在、本丸こそ残っていないものの、城壁や国宝にも指定された「大手門隅櫓(おおてもんすみやぐら)」といった当時の名残やその崇高さを感じさせるものが、数多く敷地内にあります。戦争を経て壊れた部分を修復、復元する作業を続け、2006年には「日本の城100選」にも選ばれた名城です。現在は建物が失われていて城跡となっており、本丸跡地が護国神社、二の丸跡地は東北大学、三の丸跡地は仙台市博物館の敷地となっており、石垣や遺構が数多く、平成15年に国指定史跡に指定されています。
●伊達政宗(1567~1636年)/幼少の頃の天然痘により、右目を失うも、独眼竜の武名を響かせ奥羽を席捲。1591年に豊臣秀吉の命で伊達家の領地米沢(山形県)から岩出山(宮城県)へ移封(国替え)。秀吉の死後、関ヶ原の戦いで徳川家康の味方をし、1601年に仙台城を築城し、初代仙台藩主として君臨します。
仙台城のご案内
瑞巌寺(ずいがんじ) 瑞巌寺は、平安時代の828年に慈覚大師(じかくだいし)によって創建され、1609年に伊達政宗が約5年の歳月をかけて再建した菩提寺です。江戸時代前期、1689年に俳人の松尾芭蕉が参詣しています。松尾芭蕉が訪れた、平泉の中尊寺と毛越寺、山形の立石寺と共に、東北地方の寺院を巡る「四寺廻廊巡礼コース」のひとつです。平成の大修理を経て2016年4月より拝観を再開した本堂は書院造りで、単層入母屋造本瓦葺の大きな屋根が壮観。本堂内では、煌びやかな襖絵が大きな見どころとなっています。国宝の本堂、庫裏を始め、重要文化財の御成門、中門、五大堂、宝物館など、貴重な歴史的建造物や資料がたくさんあります。
●五大堂(ごだいどう)/五大堂は、807年に坂上田村麻呂が東征のとき、毘沙門堂を建立し、828年に慈覚大師円仁が延福寺(現在の瑞巌寺)を開基の際、「大聖不動明王」を中心に「東方降三世」「西方大威徳」 「南方軍荼利」「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになりました。秘仏とされる五大明王像は、五代藩主吉村が500年ぶりにご開帳した1700年代以降、33年に一度ずづご開帳されるようになりました。現在の建物は、 伊達政宗が1604年に創建したもので、桃山式建築手法の粋をつくして完工したものです。堂四面の蟇股にはその方位に対して十二支の彫刻を配しています。
国宝 瑞巌寺公式サイト
松島四大観(まつしましだいかん) 松島は「日本三景」の一つとして日本を代表的する観光地で、年間300万人以上が訪れています。陸地からの壮大な眺めに加え、遊覧船に乗って海からの絶景と感動を味わうことができます。 春は桜、夏は海水浴、秋は紅葉、冬は雪景色と、どの季節に訪れても飽きることはありません。古くには「奥の細道」で有名な俳諧師・松尾芭蕉や戦国武将・伊達政宗公も愛したと言われる松島ですが、 現代においても人々の心をつかみ、安らぎの時間と空間を与えてくれています。
松島四大観とは、松島湾に浮かぶ260余島の島々を一望できる4つの展望スポットのことで、それぞれの眺めの印象を表す名称で呼ばれています。
【東】大高森展望台(壮観)360度のパノラマ絶景!
【西】多聞山展望台(偉観)訪れる人の少ない穴場
【南】富山展望台(麗観)伊達家ゆかりのスポット
【北】扇谷展望台(幽観)観光地から徒歩でいける
日本三景とは(公式サイト)
秋保温泉(あきうおんせん) 秋保温泉は、兵庫県の有馬温泉・愛媛県の道後温泉とともに「日本三名湯」の1つに数えられる名所です。1400年以上も前の、欽明天皇の頃に発見されたといわれ、藩政時代には伊達家の入浴場が置かれるなど、古い歴史を誇る名湯です。仙台駅から西に車で約30分(約22km)の距離にあり、そののどかな静けさは仙台の奥座敷にふさわしい様相です。クセがなく柔らかなお湯が湯冷めしにくいと、観光客はもちろん地元の方からも人気です。「欽明天皇が皮膚病を完治させた」という伝承が残るなど、この地域の歴史に触れるエピソードも豊富で、仙台観光で外せないスポットのひとつです。温泉周辺のスポットとしては、渓谷美で知られる磊々峡(らいらいきょう)がおすすめ。1kmにわたって大小様々な奇岩が立ち並ぶ景観は迫力満点です。
秋保温泉のご案内
小滝沢橋(こたきざわばし) 小滝沢橋は、昭和14年(1939年)に建造された橋長20.8m、幅4.5mの石造のアーチ橋です。仙台市の有形文化財に指定されており、別名「めがね橋」と呼ばれています。設計者は地元の佐藤清一氏で、使われた石材は、地元秋保の石ケ森から採掘された凝灰岩で、その運搬にあたって馬が2、3頭倒れたという逸話も残されています。現在は通行できませんが、県道側の新しい橋から眺めることができます。
小滝沢橋のご案内
福島県は全国で3番目に広い面積を誇り、大きく3つのエリアで分かれています。豊かな大自然と会津藩士ゆかりの名所旧跡が点在する「会津地方」、美しい花々とみずみずしい果実がいっぱいの「中通り」、太平洋に面し、雄大な景観を眺める「浜通り」です。風土、文化、気候も違うそれぞれの魅力で訪れる人に驚きと感動を与えます。代表的な観光スポットとしては、鶴ヶ城(若松城)や猪苗代湖、五色沼湖沼群があります。さらに、幕末から明治にかけて史跡がたくさん残っています。会津戦争を中心とした津の武家屋敷や、NHK大河ドラマ『八重の桜』で知られることになった娘子隊の軍隊長・中野竹子の記念碑、会津の西街道沿いにある宿場町「大内宿」など、この時代に興味がある観光客の関心を大いに惹きつけています。また、古代日本の日本武尊(やまとたけるのみこと)が湯治したと伝えられる飯坂温泉や、1200年続いてきた歴史ある岳温泉(だけおんせん)、磐梯山の麓にある磐梯宝温泉など数多くの温泉がある温泉地でもあり、自然の風景を見ながら温泉に浸かるといったぜいたくを味わうことができます。
鶴ヶ城(会津若松城) 日本100名城にも選ばれた鶴ヶ城は、1965年の再建以来改修を重ね、2011年には17世紀頃を再現した「赤瓦」のふき替えが完了し、日本で唯一赤瓦を見られる城となりました。また、天守閣の石垣は1611年に起きた大地震にも耐え、現在も当時のまま立派な姿を残しています。正式には若松城と言います。
鶴ヶ城の原型を作ったのは、戦国大名として成功した葦名(あしな)氏。その後、天下をとった豊臣秀吉の命により、この地を治めた蒲生氏郷(がもう うじさと)や、NHK大河ドラマ『天地人』の主人公である重臣・直江兼続とともに会津入りした上杉景勝(うえすぎ かげかつ)、三代将軍徳川家光の異母弟だった保科正之(ほしな まさゆき)など数多くの大名が居城しました。そのため、歴代藩主の足跡を辿れる展示物は、かなり見応えがあります。
鶴ヶ城のご案内
会津の歴史
会津武家屋敷 会津武家屋敷は、福島県会津若松市東山町にある、観光と食事の名所です。会津若松市街地から歴史ある温泉地・会津東山温泉へと向かうと、温泉街へと続く坂道の手前にあります。敷地内には会津藩23万石の家老であった西郷頼母邸を移築し復元した施設をはじめ、福島県の重要文化財を含む歴史的建造物、資料館に美術館もある「歴史テーマパーク」です。会津武家屋敷の総敷地面積は、約7,000坪。広大な敷地をのんびりと観覧すれば、幕末の会津の生活や歴史に触れることができます。敷地内の各施設には「音声こんしぇるじゅ」なる無料音声ガイドが設置されており、スマートフォンでQRコードを読み取ると、音声で案内を聞くことができます。
家老屋敷は会津藩家老・西郷頼母邸を復元したものです。けやき、ひのき、杉材などをふんだんに利用し、江戸時代中期・和様建築の粋を集めた豪華かつ壮大な建築物です。広大な敷地内に、家老屋敷のほか、江戸時代の代官所を移築復元した「旧中畑陣屋」、鶴ヶ城本丸内にある茶室「麟閣」を復元した「嶺南庵麟閣」などの歴史的な建物が並びます。
会津武家屋敷のサイト
大内宿(おおうちじゅく) 大内宿は、会津若松市から一時間ほど南に行った場所にあります。
江戸時代に栄えた、会津若松市と日光今市をつなぐ「会津西街道」に位置する宿場町です。参勤交代や米の流通路として重要だったこの道は、明治期以降交流が大幅に少なくなり、また山あいに位置していたことから周囲と隔絶され、当時の面影が色濃く残る地域となりました。大内宿の景観は江戸時代の頃の様相そのままに保たれており、一時は開発の声が高まったものの、昭和56年(1981年)には「国選定重要伝統的建造物郡保存地区」に選定されました。保存活動が進められた現在、30軒以上の民家は蕎麦屋や土産物店、民宿などになっており、江戸の景観を味わえる場所として県内でも人気の観光地です。その人気ぶりは、年間約80万人もの観光客が訪れていることからも感じることができます。
大内宿観光協会のサイト
五色沼 磐梯山の爆発により生まれた湖沼群で、季節や天気、見る角度によって様々な色になることから「五色沼」と呼ばれています。「五色沼」は、毘沙門沼・赤沼・みどろ沼・竜沼・弁天沼・るり沼・青沼・柳沼など数多くある湖の総称で、正式には「五色沼湖沼群」といいます。五色沼散策は、五色沼入口(裏磐梯ビジターセンター)から磐梯高原駅(バス停)までの全長4kmほどの五色沼自然探勝路で楽しめます(片道約1時間30分程度)。バス停も駐車場も東西2か所にありますので、片道だけ歩いて帰りはバス利用もできます。往復歩いてみたい方は、片道だけ国道459号を歩くと、磐梯山噴火記念館や磐梯山3Dワールドなどを見学することもできます。また五色沼入口より磐梯高原駅の方が標高が少し高いので、下りを歩きたい方は逆からのルートがおすすめです。
五色沼湖沼群のご案内
五色沼自然探勝路
猪苗代湖 猪苗代湖は面積約100平方キロメートル、日本で4番目に広い湖です。東側の川桁(かわげた)断層と西側の背炙山(せあぶりやま)断層の外側が隆起したことによって盆地が生まれ、そこに水が貯まって生まれた湖です。透明度の高い水が特徴で別名「天鏡湖」と呼ばれています。季節によってさまざまな楽しみ方ができるのもこの湖の魅力です。春は湖のほとりから桜とともに雄大な磐梯山を望むことができ、夏には湖水浴やキャンプ、秋には湖面に紅葉が映え、冬にはたくさんの白鳥たちが飛来します。数ある美しい景観の中でも特におすすめが「天神浜」と呼ばれる岸辺です。松林の中を遠浅の砂浜が延々と続く天神浜は、長瀬川の河口にできた砂州です。国道49号線に近いにもかかわらず、志田浜や長浜に比べて静かな湖水浴場として地元の人にも親しまれています。通年を通してキャンプ場も開設されており、猪苗代湖を前景に磐梯山を眺める絶好のスポットとしてよく知られた場所です。
猪苗代湖流域の魅力
あぶくま洞 あぶくま洞は、田村市の南東約18kmにあります。鍾乳石の種類と数の多さでは東洋一とも言われ、したたり落ちる地下水が、およそ8000万年もの長い歳月をかけ創り上げた大自然の造形美は、訪れるものを感動の世界へといざないます。全長約600mの見学コースでは、きのこ岩やクリスマスツリーなど親しみやすい名前が付けられた、様々な形の鍾乳石を観賞することができます。洞窟内に広がるのは神秘の世界で、幻想的にライトアップされた、一滴の地下水から創られた芸術作品の数々には、誰もが感動することでしょう。
鍾乳洞の中は、1年を通して約15度と気温が一定なため、夏は涼しく冬は暖かいのも特徴です。見学路は整備されていますが、階段や足元に注意が必要な場所も多いので、歩きやすい靴と、動きやすい服装がおすすめです。「洗心の池」は、あぶくま洞を育む地下水の池。ブルーにライトアップされた透き通る水面は、思わずため息がでる美しさです。「滝根御殿」は360度絶景が見渡せる、あぶくま洞のメインスポット。見学の最後を飾るスポット「月の世界」は、洞窟内の主な鍾乳石を全てみることができる場所。ここでは、舞台演出用の調光システムによって描かれる、暗闇の中から朝日が昇り夕日となって沈むまでの光のショーも楽しむことができます。
あぶくま洞のサイト
あぶくま洞のご案内
アクアマリンふくしま いわき市にある「アクアマリンふくしま」は、「海を通して人と地球の未来を考える」の理念のもと、スケールの大きな展示で世界的に注目を集めている「環境水族館」です。福島の海の特徴である暖かい黒潮と冷たい親潮が交わる太平洋の「潮目」をテーマに、生き物が暮らす自然環境をまるごと再現し、展示しています。館内は生き物の「過去・現在・未来」をコンセプトに大きく3つのエリアに分かれています。生物の誕生をひもとく展示エリアを抜けると、現在の福島県の川から海へとたどる生態系が再現され、黒潮と親潮の源流域の生き物を紹介します。さらに体験を通して未来の海の環境を考えるエリアへとつながります。特に注目なのが、世界初の三角トンネルを採用した「潮目の海」の大水槽です。黒潮と親潮の境目を歩き、それぞれに生息する魚たちを間近に見ることができます。
アクアマリンふくしまのサイト
飯坂温泉 飯坂温泉は、宮城県の鳴子温泉、秋保温泉とともに奥州三名湯の一つにも数えられています。由緒ある温泉地として長い歴史があり、2世紀頃には日本武尊(やまとたけるのみこと)が湯治をしたという伝承もあります。近代では松尾芭蕉や正岡子規、与謝野晶子といった俳人、歌人も多く訪れています。飯坂温泉駅前には松尾芭蕉の碑もあります。飯坂温泉駅周辺で、まず目に飛び込んでくるのが、駅の横を流れる摺上川(すりかみがわ)に架かる十綱橋(とつなばし)です。100年以上の歴史を持つ十綱橋は、当時のものとしては珍しいアーチ橋で土木学会選奨土木遺産に選定されているほか、飯坂温泉のシンボル的存在として知られています。飯坂電車の1日フリーきっぷの入湯券サービスを利用できる共同浴場は、全部で9つあります。どこに入ろうか迷ったら、飯坂温泉駅から徒歩5分の場所にある鯖湖湯(さばこゆ)がおすすめです。鯖湖湯は飯坂温泉発祥の地。芭蕉が湯につかった温泉としても知られています。日本初のラジウムが発見されたのも鯖湖湯です。施設は改築されたものの、日本最古の木造建築共同浴場としての風格は今なお残っています。
飯坂温泉・公式サイト
月-金:09:00~19:00
土日祝:10:00~17:00
〒598-0093大阪府泉南郡田尻町
りんくうポート北5番6