九州地方は海に囲まれ、古くから中国や朝鮮半島など、アジア諸国と深いかかわりを持ち発展してきました。日向・高千穂の宮崎や霧島の鹿児島などは、『日本神話』との繋がりが深く、佐賀で発見された「吉野ヶ里遺跡」は、『魏志倭人伝』に登場する「邪馬台国」との説もあります。また、戦国時代には、宣教師が来日し、長崎の平戸からキリスト教が流布し、鎖国時代には、長崎の出島が、欧州文化の流入口として大きな役割を果たしました。江戸時代には、幕府天領地として大分の日田市に郡代が置かれ、九州は日田を中心に統括されていました。時代とともに政治や文化の中心が、京都や江戸へと移りわたり、開花していくも、かつての大陸との窓口役として、健啖に異質の文化や文明を受け入れ消化してきた九州。その旺盛なエネルギーが温存、蓄積されて、やがて九州が持つ独自の体質が、薩摩出身の西郷隆盛とともに「明治維新」へと収斂されていったといえるでしょう。
九州最大の都市、福岡県の福岡市は、博多ラーメンや明太子、もつ鍋など絶品グルメの街として知られていますが、古くは奈良時代から続く寺社仏閣から、SNS映えする癒しの絶景、オシャレ商業施設まで、観光スポットがたくさんあります。寺社仏閣では、とくに博多祇園山笠が奉納される「櫛田神社」、学問の神様「太宰府天満宮」、弘法大師が日本で最初に開山した密教寺院「東長寺」、そして「光の道」で話題のパワースポット「宮地嶽神社」などが有名です。また癒しの絶景としては、神秘的な雰囲気をまとう癒しの森「篠栗九大の森(ささぐりきゅうだいのもり)」、美しいもみじに包まれる「山中渓谷」、北九州市街を一望できる、100億ドルの夜景と名高い「皿倉山(さらくらやま)」などがお勧めです。
太宰府天満宮 太宰府天満宮は、菅原道真の墓所の上に社殿を造営してお祀りしている歴史ある神社です。学業成就のご利益がある神社として有名です。幼少期より大変優秀であった道真は、生前右大臣まで上り詰めた後、政略によって太宰府に左遷され、903年にその生涯を閉じます。死後、門弟の味酒安行(うまさけのやすゆき)が道真の遺骨を牛車で運んでいると、牛車が門の前で動かなくなり、この地に留まりたいという道真の気持ちだと悟り、遺骨はその地に埋葬されることになったといわれています。905年に墓所の上に廟が創建され、919年には見事な社殿が建立されました。その後、「道真の無実」が証明されて「天神様」として崇められるようになり、現在に至っています。また境内の一番奥には、随一のパワースポットといわれる「天開稲荷神社」があります。鎌倉時代後期に京都にある伏見稲荷大社の分霊として創建されました。祀られている神様は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と呼ばれるお稲荷様で、日本書紀にも登場します。商売繁盛はもちろんのこと五穀豊穣などのご利益があり、それだけでなく参拝者を開運や幸運にも導いてくれると伝えられています。
太宰府天満宮公式サイト
櫛田神社 博多の総鎮守の櫛田神社は、地元では「お櫛田さん」の愛称で親しまれ、毎年7月1日から15日にかけて、「博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)」が行われます。正式名は櫛田神社祇園例大祭。各地に伝わる素戔嗚尊(スサノオノミコト)に対して奉納される祇園祭の一つで、博多どんたくとともに博多を代表し、700年以上も続く伝統のお祭りです。櫛田神社の境内には、楼門の天井に色鮮やかに彩られた「干支恵方盤(えとえほうばん)」や「櫛田のぎなん」と呼ばれる樹齢1000年のご神木、「夫婦ぎなん」のご神木などがあります。ちなみに博多では、ギンナンのことを「ぎなん」と呼びます。櫛田神社のご祭神は大幡主命(オオハタヌシノミコト)・天照大御神(アマテラスオオミカミ)・素戔嗚尊(スサノオノミコト)の3柱で、境内には不老不死の水が湧く霊泉鶴の井戸があります。また、 境内には装飾が鮮やかな「飾り山」が奉納され、常設展示されています。山笠の迫力を味わうことができ、祭りの雰囲気が伝わってきます
櫛田神社の紹介サイト
宮地嶽神社(みやじだけ) 宮地嶽神社は約1700年前に創建され、全国に鎮座する宮地嶽神社の総本社です。主に開運・商売繁盛にご利益があるとされ、毎年220万人以上の参拝客が訪問する、名実ともに九州を代表する神社の一つです。日本一大きいと称される、大注連縄(おおしめなわ)、大太鼓(直径2.2m)、大鈴(450kg)も有名です。
参道のうち、「男坂」と呼ばれる神社正面の石段から門前町を通り宮地浜まで至り、相島(あいのしま)を望む西向きの参道は、約800mに渡る直線道路となっています。9月の秋季大祭においては、この参道を御神幸行列が牛車で往復します。また、この参道の延長線上に夕日の沈む期間が、年に二期(2月下旬および10月下旬)あり、この夕日と参道が一直線に並ぶ光景は、2016年2月に放映された嵐が出演する日本航空のCMをきっかけに有名になり、「光の道」と称されるようになりました。
宮地嶽神社公式サイト
宮地嶽神社(光の道)
志賀島(しかのしま) 教科書に登場する最も有名な国宝「漢委奴国王」の五つ文字が刻まれた「金印」は、福岡市にある志賀島(しかのしま)で発見されました。志賀島は、JR博多駅から車でおよそ50分の博多湾北部にあり、「海の中道」と呼ばれる砂州で陸続きになっている島です。志賀島にある展望台「潮見展望台」からは砂州の形状や360度に広がる視界から、玄界灘や博多湾、福岡市街地や海の中道海浜公園、さらに福岡空港に発着する飛行機を遠くに望むことができます。
福岡市博物館サイト「金印」
能古島(のこのしま)能古島(のこのしま)は、四季折々の花が咲き自然溢れる、博多湾の真ん中にぽっかり浮かぶ小さな島です。博多駅から地下鉄で約20分、姪浜(めいのはま)駅からすぐの姪浜渡船場から船で約10分のアクセスです。島の最大の見所は「能古島アイランドパーク」。昭和44年に開園した自然豊かなテーマパークで、2つの大きなお花畑では四季折々の雄大な景色が楽しめます。春は桜、菜の花、ポピー、マリーゴールド、夏はあじさい、ひまわり、ブーゲンビリア、秋はコスモス、サルビア、オキザリス、冬は日本水仙、さざんか、つばきと一年を通じ自然の中でゆっくりお過ごしいただけます。パーク内には、可愛い動物たちに出会える、動物たちの家や小さな小屋も点在しています。また、アイランドパーク内には宿泊できる施設があり、博多湾を一望できるお花畑の周りに並ぶ、戸建タイプのコテージです。
のこのしまアイランドパーク公式サイト
平和への願いに象徴される「平和祈念像」がある長崎は、かつては外国文化を繋ぐ日本の窓口として貿易で栄え、異国情緒のある洋館やゴシック様式の教会といった美しい建造物がたくさんあります。また、閉山した炭鉱都市がそのまま残る「軍艦島(端島)」や、悲しいくらい美しいと言われる、隠れキリシタンと迫害の悲しい歴史を背負った「五島列島」があるのも長崎です。その他に県を象徴するテーマパーク「ハウステンボス」をはじめ、世界新三大夜景スポット「稲佐山」、世界遺産に登録された「旧グラバー住宅」等も有名な観光スポットです。
軍艦島(端島) 長崎市の端島(はしま)は、全体像が軍艦に見えることから通称「軍艦島」と呼ばれています。長崎港から約18kmの距離にあり、現在は無人島です。かつては炭鉱で栄え、炭鉱労働者の居住施設だけではなく、学校、神社仏閣、理髪店や派出所、娯楽施設の映画館まであり、1960年(昭和35年)には5000人を超える住民が生活していました。これほどの住民がいたのは、給料が格段に良かったことが挙げられます。昭和30年代の長崎県民の平均月給が約2万円に対して、島民の平均月給はなんと10倍の約20万円。さらには後に3種の神器と言われた白物家電のテレビ、冷蔵庫、洗濯機の全国普及率が20%程度の頃に、島の普及率はほぼ100%と言われました。やがて時代は石炭から石油へとエネルギー変換し、それに伴って繁栄を誇った島にも衰退が始まりました。そして昭和49年1月に炭鉱を閉山し、4月には全島民が島から離れ無人島となりました。
軍艦島(端島)へは上陸許可が必要で、上陸ツアーに参加する必要があります。長崎港から出発するツアーは複数の会社があり、人気が高いので事前申込が必須です。ツアーではドルフィン桟橋と呼ばれる場所から上陸します。そこから整備されている観光ルートを左方向に進み、島の西の端、鉄柱古城付近まで行って戻ることになります。途中では様々な施設、建物の様子を見ることができます。観光中は指定されたルートから外れることは許されません。また島にあるものは持出厳禁ですのでご注意ください。現在、年間で上陸できる日数は100日程度で、建物の劣化も進み、将来的には立入規制される可能性もあります(2015年世界文化遺産に登録)。
軍艦島の紹介サイト
旧グラバー住宅 2015年に世界遺産に登録された「旧グラバー住宅」は、「グラバー邸」の名でも親しまれる和洋折衷の美しい洋館です。若くして幕末の日本へ渡り、炭坑や製鉄業で財を成したイギリス商人グラバーは、実は武器商人でもありました。坂本龍馬や後藤象二郎などをはじめ、多くの志士たちと交流を持ち、裏で支えていたとされ、数々の大河ドラマでも描かれる幕末史の超重要人物です。旧グラバー住宅は、1863年のまさに幕末の動乱期の建築で、現存する日本最古の木造洋風住宅として、昭和36年には国の重要文化財に指定されています。広く開放的なこのベランダ様式は、「コロニアルスタイル」と呼ばれ、寒冷なヨーロッパから来た西洋人がアジアの暑さから逃れるため、陽射しを遮り風通しを確保するための工夫が施されています。また、ベランダを覆う屋根には伝統的な日本瓦が用いられており、棟の先端には厄よけの鬼瓦までしつらえてあり、グラバーの日本に対する想いが表れています。
旧グラバー住宅公式サイト
稲佐山公園
長崎の夜景は 2012 年にモナコ、香港とともに世界新三大夜景に選ばれ、2015 年には札幌、神戸とともに日本新三大夜景都市にも認定されています。標高333mの稲佐山からは、1000 万ドルともいわれる美しい景観が見られます。長崎港を中心に山々がそびえ、斜面に立ち並ぶ家々の明かりが立体的な夜景を演出してくれています。特に平和公園がある北部方面は山の谷間に光が連なるため、その様子はまるで天の川のようです。山頂展望台は2011年4月にリニューアルされ、山頂まで一般車で上ることができるようになりました。山頂展望台には、屋外に螺旋階段が設置されたため、24時間夜景を利用できます。室内展望室は22時までですが、夜景をみるなら屋外展望台がお薦めです。
稲佐山公園サイト
原城跡(はらじょうあと)
原城跡(はらじょうあと)は、島原半島の南部に位置する半島唯一の世界遺産です。目の前を有明海、背後に雲仙岳を望む小高い丘からなる風光明美なスポットです。徒歩約10分の場所では温泉が湧いており、温泉施設「原城温泉 真砂(まさご)」にて温泉やお食事を楽しむこともできます。車で5分ほどのところに、島原・天草一揆を詳しく紹介する「有馬キリシタン遺産記念館」があります。
島原の乱について
島原の乱(1637年12月~1638年4月)は、江戸時代初期に起こった日本の歴史上最大規模の一揆で、幕末以前では最後の本格的な内戦といわれています。島原藩の藩主である松倉勝家が行った悪政が原因で、度重なる重税と飢饉に耐えかねた住民が遂に一揆を起こしました。若干16歳の天草四郎を総大将に、長崎県の島原半島と熊本県の天草諸島の領民(一揆軍)は、島原にある原城跡に合流して籠城し、徹底抗戦しました。籠城は約3か月に及び、幕府軍の攻撃とその後の処刑によって籠城した老若男女37,000人は全員死亡しました。唯一の生き残りは、内通者だった絵師の山田右衛門作(やまだえもさく)だけであったと言われています。
いま蘇る、キリシタン史の光と影(第7話)
雲仙温泉郷
雲仙温泉郷では、「雲仙地獄」や「温泉神社」、空中散歩を満喫できる「雲仙ロープウェイ」などが有名です。
雲仙ロープウェイ/仁田峠駅から妙見岳駅間の約500mを結び、約3分かけて運行します(標高差約174m、海抜1300m)。空中散歩が満喫できるゴンドラは足元近くも見られるような広い窓が特徴で三線交走式。四季折々の景観が美しく、妙見駅にある妙見岳展望所からは普賢岳、平成新山を望むことができます。
雲仙地獄/噴気孔から白い蒸気が吹き上がり、非日常的で荒涼とした風景が広がります。地面は白い土でおおわれ、あたりには硫黄のにおいが漂います。雲仙地獄には遊歩道が整備されており、大叫喚地獄やお糸地獄など全部で30余りの地獄が見られるので、散策しながら独特の風景が楽しめます。
温泉神社(うんぜんじんじゃ)/雲仙地獄に隣接するように鎮座する温泉神社は、島原半島の各地に点在する温泉神社の総本山です。パワースポットとしても有名で、境内にある樹齢200年を超える柿の木「夫婦柿」は、恋愛成就に効くとされています。
雲仙温泉郷サイト
五島列島の中心地・福江島
福江島は、五島列島全体の中心地で、青い海と緑の山が織りなす雄大な自然があふれ、多様な島風景に出会えます。弓なりにのびる白い砂浜とエメラルドグリーンの「高浜海水浴場」は、「日本の渚100選」と「日本の海水浴場百選」の両方に選ばれました。景観も水質も素晴らしく、地元民にも大人気のビーチです。福江島の最西端にある景勝地に「大瀬崎断崖・灯台」があります。約20kmに渡る断崖絶壁の突端には、「日本の灯台50選」に選ばれた白亜の大瀬崎灯台が立っています。福江島のシンボル的存在でもある鬼岳(おんだけ)のふもとには、「五島コンカナ王国」WINERY & RESORTがあります。自然の中で泊まって、食べて、遊べる滞在型リゾートホテルです。客室は、木のぬくもりが感じられるログハウスコテージが中心で、レストランのほか、鬼岳温泉、五島ワイナリーなどがあります。
高浜海水浴場のご案内
大瀬崎灯台のご案内
鬼岳(おんだけ)のご案内
五島コンカナ王国のご案内
祈りの島・上五島(中通島・若松島)
上五島の中心地は、十字架のような形をした中通島です。五島列島にある約50の教会のうち、その半分が上五島にあります。上五島を代表する「蛤浜海水浴場(はまぐりはま)」は、真っ白な砂浜と遠浅の青い海がまるで絵画のように美しいビーチです。美しい入り江を眼下に一望できる「龍観山展望台(りゅうかんざん)」は、中通島と若松島をつなぐ若松大橋を見渡せるビューポイントです。複雑に入り組む海岸線と小島が織りなす大パノラマは絶景です。奈摩湾を見下ろす高台にあるレンガ造りの正統派教会「青砂ヶ浦天主堂(あおさがうら)」は、国指定重要文化財に登録されています。ちなみに、映画『第35作・男はつらいよ寅次郎恋愛塾』のロケ地にもなっています。若松島の南端の断崖には、人気スポットの「キリシタン洞窟」があります。明治の初め、キリシタン弾圧の際に信者が隠れ住んだといわれており、今も船でしか行けない場所にあります。
蛤浜海水浴場のご案内
龍観山展望台のご案内
青砂ヶ浦天主堂のご案内
キリシタン洞窟のご案内
4つの集落・集落跡
五島列島には、江戸時代に多くの潜伏キリシタンが移り住み、集落を形成して独自の信仰をつづけた歴史があります。「久賀島の集落」「奈留島の江上集落」「頭ヶ島の集落」「野崎島の集落跡」の4つの集落・集落跡が2018年に世界文化遺産に登録されました。
18世紀末頃になると、外海(そとめ)地域の潜伏キリシタンは、人口増加などを理由に開拓移民として五島などの島嶼部へ移住していきました。潜伏キリシタンは、仏教や神道を宗旨とする既存の集落の住民たちと、漁業や農業で互助関係を築きながら、ひそかに共同体を維持していたとされています。禁教が解けた後に段階的にカトリック教徒に復帰し、島内の各集落に教会堂を建てていきました。
【牢屋の窄殉教記念聖堂(久賀島)】
禁教下の1868年、カトリック教徒200余名が捕えられ、わずか12畳の牢屋に押し込められ、42名が殉教。畳1枚あたり17名という狭さで、排泄もその場で、死体も放置されるという筆舌できない惨状の中、多くは8ヶ月間もこの状況を耐え忍んだとされています。この殉教の場所に建てられているのが現在の「牢屋の窄殉教記念教会」で、内部には床のじゅうたんが色分けされ当時の牢の広さが一目でわかり、殉教者の苦しみが想像できるようになっています。
遠藤周作の小説『沈黙』ゆかりの地
佐賀県には凄いものがあります。ひとつは400年の歴史を持つ、日本の磁器の起源となった「有田焼」です。有田焼の原料となる陶石の採掘場「泉山磁石場(国指定史跡)」は、NHK番組「ブラタモリ」でも紹介され、注目されました(立ち入り禁止ですのでご注意ください)。もうひとつは、邪馬台国の九州説の最大の候補地である「吉野ヶ里遺跡」です。弥生時代中期から後期(AD200年頃)の遺跡で、外敵から集落を守る、堀で囲まれた大規模な環濠集落であったことが発掘調査からわかっています。そのほか、佐賀市から車で約1時間にある、嬉野温泉(うれしの)は日本三大美肌の湯にも数えられ、温泉地としても有名です。
吉野ヶ里遺跡 吉野ヶ里遺跡は、推定延長2.5kmの壕に囲まれた日本最大級の環壕集落(かんごうしゅうらく)跡です。外敵の進入を防ぐために壕の内外に土塁や逆茂木(さかもぎ)が施工されていたと考えられ、それが再現されています。南内郭は、周囲の「ムラ」を治めていた王や階層の高い人々が住んでいた場所と考えられており、「王の家」「集会の館」などの建物や、敵を見張る物見櫓も再現されています。物見櫓は実際に上ることができ、吉野ヶ里集落が一望できるお勧めの場所です。南内郭の北側にある北内郭には、3層構造の吉野ヶ里遺跡の中で最大規模の建造物「主祭殿」が建っています。主祭殿の二階は、指導者層の人たちの会議の場所と考えられ、三階は、祖先や神様の声を聞くことができる特殊能力を持った最高司祭者がいる場所と考えられています。吉野ヶ里遺跡の中で一番の見所は丘のように見える「北墳丘墓(ふんきゅうぼ)」です。墓の正面には「立柱」と呼ばれる柱が立っていて、祖先の霊が宿る柱と考えられていたそうです。この墓から出土した甕棺(かめかん)の中には人骨と一緒に勾玉や管玉などの装飾品、銅剣や織物などが埋葬されており、吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている墓と考えられています。
吉野ヶ里歴史公園サイト
七ツ釜 佐賀県唐津市にある「七ツ釜(ななつがま)」は、国の天然記念物に指定されている洞窟で、珍しい柱のような岩石が断崖まで幾層にも積み重なってできています。火山によって流れ出したマグマが玄武岩(げんぶがん)となり、さらに海水で急速に冷却されたことで、五角形や六角形の柱状に固まる柱状節理(ちゅうじょうせつり)という珍しい奇岩石に変わりました。そして、玄海灘の荒波がその玄武岩を浸食し、現代の海から続く海食洞窟を形成したとされています。玄界灘の荒波に深くえぐられたその断崖には、「七ツ釜」の名称の通り、7つの洞窟が釜のように並び、青い海が洞窟の中まで続いています。海からは遊覧船での洞窟見学ができ、陸からは「七ツ釜」の上にある玄海国定公園の遊歩道や展望台から、その神秘的な様子を見学することができます。
七ツ釜のご案内サイト
御船山楽園 佐賀県武雄市のシンボル御船山(みふねやま)は、300万年前に有明海から隆起して生まれた山です。切り立った岩肌の裾野には創建735年の歴史を持つ「武雄神社」と樹齢3千年のご神木「武雄の大楠」があり、パワースポットとしても人気です。御船山楽園は、その武雄の大楠の南側に広がる歴史ある庭園です。約1300年前に、後に奈良の大仏を作ることになる名僧行基が入山し、彫ったとされる多くの阿羅漢が安置されています。また、江戸時代後期には第28代武雄領主の鍋島茂義公が「武雄の大楠」につながる南側の山麓に、15万坪の御船山楽園をおよそ3年の月日をかけて造園しています。ハート形の鏡池を持つ回遊式庭園には、開園から170年以上たった現在も、桜・ツツジ・藤をはじめとした数十万本の花々が四季折々の風景を彩り、来訪者の目を楽しませてくれています。そのやわらかな美肌の湯を堪能できる「御船山楽園ホテル」は、1966年に誕生し、国指定記念物の名園とチームラボによるアート作品を満喫できる唯一無二のホテルです。
御船山楽園公式サイト
唐津城 唐津城は、豊臣秀吉の家臣、寺沢広高(てらざわ ひろたか)によって1602年から7年の歳月を費やして築城されました。東西に伸びる松原が両翼を広げた鶴のように見えることから、別名「舞鶴城」と呼ばれています。その城主には寺沢、大久保、松平、土井、水野、小笠原の諸氏が任ぜられています。築城当初は天守閣はなく、昭和41年(1966年)に文化観光施設として、天守閣は建てられました。天守閣内は郷土博物館になっており、唐津藩の資料や唐津焼などが展示され、唐津の歴史に触れることができます。また、展望所からは玄界灘と虹の松原の雄大な景観や、松浦川と城下町唐津の風景を見ることができます。
唐津観光協会サイト
祐徳稲荷神社 祐徳稲荷神社(ゆうとくいなりじんじゃ)は、京都の伏見稲荷大社、茨城の笠間稲荷神社と共に「日本三大稲荷」に数えられています。年間300万人の参詣者が訪れる、佐賀県のみならず九州を代表する神社です。主祭神は倉稲魂神(うがのみたまのおおかみ)・大宮売神(おおみやのめのおおかみ)・猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)で、三神は稲荷大神と総称され、商売繁盛、家運繁栄、縁結びなど、衣食住全般を司る神様として、江戸時代から庶民の崇敬を受けています。総漆塗りの極彩色の楼門、そしてきらびやかな本殿は「鎮西日光(ちんぜいにっこう)/九州の日光東照宮」と称されるほどの美しさです。また通常の神社とは異なり、山の斜面に組み上げられた高楼建築で、本殿はかなりの高台に建てられています。その高さは京都の清水寺の舞台よりも高いと言われており、階段で上るほか、本殿の北側にそびえたつ高さ20mの塔(エレベーター)を利用して本殿に上がることができます。本殿参拝後、体力のある方は、奥の院の参拝もお勧めです。本殿から奥の院までの道のりは、およそ250mで、20~30分程かかります。
祐徳稲荷神社サイト
別府や湯布院など大小さまざまな名湯がある大分県は「おんせん県」とも呼ばれています。豊富な天然資源に恵まれ、代々の恩恵は火山活動が生み出した日本一の源泉数と湧出量を誇る温泉です。泉質も豊富で炭酸泉や泥湯、冷泉など個性あふれるバラエティ豊かな温泉が揃っています。また、戦国時代には南蛮貿易が盛んに行われるなど、古くから国際色豊かな都市として繁栄し、県指定の有形文化財の数は日本一を誇ります。九重山(くじゅう連山)などの山々や、周防灘、伊予灘、豊後水道にも面しており、一年を通して山と海の幸が両方楽しめる県でもあります。
中津城 日本三大水城のひとつと言われる中津城は、周防灘に注ぐ中津川の河口にあります。1588年に豊臣秀吉の軍師・黒田官兵衛により築城が始められ、未完成のまま動乱期を経たのち、細川忠興が築城を再開し、1621年に完成したとされています。現在の模擬天守は、1964年に、旧藩主の奥平家と市民の寄付により建造されたもので、「奥平家歴史資料館」となっており、一般公開されています。大河ドラマ「軍師官兵衛」が話題になったことから、新たに黒田如水石像が建立され、続日本100名城にも選定されています。
黒田官兵衛(くろだかんべえ)/戦国時代の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という3人の天下人に仕えた軍師で、かつキリシタン。戦わず交渉で敵を降伏させるという希有な才能に長け、秀吉の天下統一に大きく貢献しました。また、福岡城の築城や町の区画整理に関わるなど、福岡にもゆかりがあります。一方息子の長政(幼名:松寿丸)も有名で、関ケ原の合戦で大きな戦功を挙げ、家康に天下をもたらした男と言われています。
中津城公式サイト
別府地獄めぐり 別府地獄めぐりは、大分県別府市の別府温泉に多数存在する様々な奇観を呈する自然湧出の源泉「地獄」を、定期観光バスなどで周遊する定番の観光コースです。「海地獄」「血の池地獄」「白池地獄」「龍巻地獄」は、2009年7月に、別府の地獄として国の名勝に指定されています。
別府で地獄めぐりが楽しめるのは、鉄輪(かんなわ)温泉郷にある6つと亀川温泉郷にある2つの合計8つです。8つの施設は、施設ごとに独立したテーマパークです。地獄の名前も違えば、その内容も違います。お土産も、各施設ごと独自のものを用意しています。施設ごとに異なった特色があり、全部を巡ると移動時間も合わせても駆け足で3、4時間くらいの観光時間になります。
別府地獄めぐり公式サイト
ゆふいん(湯布院・由布院) 湯布院は、昭和30年に由布院町と湯平町が合併して誕生した地名です。厳密には、湯平町を含む場合は湯布院、含まない場合は由布院となります。今では明確に分けることなく、「ゆふいん」とすることもあり、JR駅の表記だけは「由布院」となりますのでご注意ください。
湯布院は、温泉湧出量は全国3位、源泉数は全国2位を誇り、別府と並び全国屈指の温泉地として知られています。「豊後富士(ぶんごふじ)」とも呼ばれる秀峰な由布岳を望む盆地には、多くの観光名所があり、国内外から連日多くの観光客が訪れています。中でも湯布院のシンボル的スポットといえば「金鱗湖(きんりんこ)」です。JR由布院駅から土産物屋や飲食店が立ち並ぶ「湯の坪街道」を20分ほど歩いた先に現れる湖です。湖底から清水と温泉が湧き出ており、1年を通して水温が13〜15度と高く、秋〜冬の冷え込んだ日の早朝には湖面から霧が立ち上る幻想的な光景をみることができます。
金鱗湖の紹介
皮膚病に効く塚原温泉 塚原温泉は「奇跡の温泉」と称され、日本三大薬湯にも数えられています。約900年前に源為朝が発見したと伝えられ、伽藍岳の中腹に湯けむりを上げる塚原地獄が源泉です。薄い黄緑色を帯びた湯は肌にほどよく刺激のある強酸性で、皮膚病に効果があります。「塚原温泉火口乃泉(かこうのいずみ)」は、この名湯につかることができる唯一の温泉施設です(由布院駅から車で約20分)
塚原温泉 火口乃泉
九州のへそ 日田市 日田市は、江戸時代に幕府の直轄地である「天領(てんりょう)」として栄え、豊かな町人文化が花開きました。日田市の中心地である「豆田町(まめだまち)」には、江戸時代の古い町割が今も残り、昔ながらのレトロな町並みや伝統文化が楽しめます。市は自然豊かな山々に囲まれた盆地にあり、周囲の山々から伐採された良質な木材(日田杉が有名)を利用して、特産品となる下駄(日田下駄として有名)や木工工芸品を制作し栄えました。また、日田市には「水の郷」という一面もあります。市内の中心を清流三隈川が流れ、山間の渓谷の小川ではヤマメやニジマスなどの川魚が泳いでいます。水が豊かで綺麗なため、米をはじめとしたおいしい農作物にも恵まれ、焼酎やビールなど、お酒の工場や酒蔵が多いのも特徴です。日田市大山町は、大人気アニメ「進撃の巨人」の原作者の諫山創(いさやま はじめ)氏の故郷でもあり、2021年3月に貴重な資料を多数集めた「進撃の巨人 in HITA ミュージアム」が日田市西大山の道の駅「水辺の郷おおやま」内にオープンしました。
豆田町のご案内
小鹿田焼の里 日田市北部の高塚山の麓にある「小鹿田焼の里(おんたやきのさと)」は、1705年に柳瀬三右衛門により開窯されました。窯元が谷川の水を利用した唐臼(からうす)で土を砕き、マキを使う登り窯で焼くという昔ながらの技法で作られる素朴な焼き物の里として知られています。今日でも日用的に使われる什器として親しまれています。「飛びカンナ」と呼ばれる柔軟性のある金属製の薄いヘラで付ける削り文様が特徴の一つです。開窯以来、伝統的技法を一子相伝で受け継いでおり、窯元がある皿山地区と棚田が広がる池ノ鶴地区を併せて「小鹿田焼の里」として国の重要文化的景観に選定されました。ブラタモリでも紹介。
小鹿田焼の里のご案内
「くまモン」でおなじみの熊本県は、世界有数のカルデラを誇る阿蘇があることから「火の国」と呼ばれています。その活火山から生み出された美しい山々や草原など雄大な自然・景観は、見るものを圧倒します。その大自然の中で、紀元前より営まれた人々の歴史・文化は数万年にも渡り、古社・阿蘇神社など神々の神話にまつわる場所が多いのも特徴です。また、阿蘇山の噴火によって形成された地層の賜物である清らかな湧水も県内に1,000ヵ所以上あり、恵まれた水資源の宝庫であることから「水の国」とも呼ばれています。
熊本城 肥後領主の加藤清正(豊臣秀吉の子飼い)が築城。秀吉の死後、天下統一をかけた「関ヶ原の合戦」で東軍(徳川家康)に与し、論功行賞で肥後一国の大名となり、元々あった「隈本城」を大改修して、現在の熊本城を築きました。築城に際して、清正が城内に銀杏(ぎんなん)の木を植えたことから、別名「銀杏城」と呼ばれています。城は熊本市の中心部にあり、市の名前の由来は、熊本城の城下町であったことから来ています。熊本城は、大坂城・名古屋城とともに日本三名城とされ、面積約98ha、周囲の長さ約5.3kmにおよぶ規模を誇ります。
熊本城の特徴として、「武者返し(むしゃがえし)」と称される、敵の侵入を防ぐために大きく反り返った急勾配の石垣や、本丸御殿と大天守閣をつなぐ「地下通路」があります。また朝鮮出兵(文禄・慶長の役/1592年~1598年)のとき、清正は兵糧攻めの苦しみを味わったことを教訓に、干瓢(かんぴょう)を壁に仕込んだり、畳の下に里芋の茎が仕込んだりと、長期の籠城でも食糧を確保できるようにしていた話が伝わっています。築城から270年経った西南戦争(1877年)では、薩摩軍の攻勢に50日超のあいだ籠城し耐え抜けたのもうなずけます。
熊本城公式サイト
阿蘇山 阿蘇山は、阿蘇五岳(根子岳・高岳・中岳・烏帽子岳・杵島岳)と外輪山からなります。現在も活発な活動を続けているのが中岳で、2016年に噴火を起こした中岳第一火口は、そばまで登ることができ、90度近くに達したエメラルドグリーン色の湯を見ることができます。大観峰(だいかんぼう)は、阿蘇北外輪山の最高峰に位置する天然の展望台です。ここから眺める阿蘇五岳はお釈迦様の寝姿に見えることから「阿蘇涅槃像」と呼ばれ、360度の大パノラマが楽しめる阿蘇随一のビュースポットです。
大観峰のご案内
阿蘇山周辺の観光地 阿蘇神社は、神武天皇の孫神で阿蘇を開拓した 健磐龍命(たけいわたつのみこと)をはじめ家族神12神を祀り、2000年以上の歴史を有する古社です。全国に約500社ある阿蘇神社の総本社で人気のパワースポットです。神社そばにある湧水の門前町散策しながら「水基(みずき)巡り」もおすすめです。白川水源は、阿蘇神社末社の白川吉見神社内にあります。水質は環境省の「名水百選」に登録されるほど良質です。鳥居をぐぐるとすぐに、毎分60トンといわれる湧き水を見ることができます。水源の水は自由に持ち帰ることができ、加熱処理された水も販売されています。草千里ヶ浜は、阿蘇五岳の一つ、烏帽子岳の北麓に広がる火口跡にある大草原と、雨水が溜まってできたといわれる池とが織りなす自然のコントラストが非常に美しい場所です。煙を上げる中岳を背景に、放牧された牛や馬が草を食んでいる牧歌的な風景がとても絵になります。
阿蘇神社公式サイト
小国郷と黒川温泉
大分県との県境に位置している小国町(おぐにまち)・南小国町(みなみおぐにまち)で構成された「阿蘇小国郷」には、豊富な湧出量を誇る温泉群が多数存在します。中でも特に有名なのが、南小国町の黒川温泉です。標高700mの山あいの閑静な温泉地で、筑後川の支流である田の原川の峡谷に沿って、懐かしさあふれる旅館が建ち並びます。森に囲まれた自然豊かな景観が活かされ、その自然と調和するように造られた露天風呂があり、山奥にひっそりたたずむ温泉街は、「街全体がひとつの宿、通りは廊下、旅館は客室」と言われています。徳川時代には参勤交代の中継地として、大名や旅人たちの旅の疲れを癒したともいわれており、昔ながらの湯治場の雰囲気の残る路地を、華やかな浴衣に身を包んだ観光客たちがそぞろ歩く光景が見られます。黒川温泉の最大の魅力は異なる泉質が湧き、宿ごとに泉質が違うところです。そんな違いを楽しめる湯めぐりは、入湯手形1,200円(税込)を購入すると温泉街の24軒のうち、3カ所の露天風呂へ入浴できます。入湯手形は、温泉街の中心にある温泉組合か各旅館にて販売しています。
黒川温泉サイト
鍋ヶ滝公園
小国町にある、シルクのカーテンのように美しい「鍋ヶ滝(なべがたき)」は、「生茶」や「お−いお茶」のテレビCMのロケ地として知られています。滝を裏側から眺めることができるのが特徴で、別名「裏見の滝」と呼ばれています。この滝の落差は約10m、幅は約20mあり、カーテンのように幅広く落ちる水が木漏れ日に照らされる様子は、とても優美で神秘的です。阿蘇のカルデラをつくった約9万年前の巨大噴火でできたとされるこの滝は、長い年月をかけて現在の形になり、滝上部の固い岩盤や滝裏のやわらかい地層は、今も浸食を繰り返し、少しずつ形を変えています。春には期間限定で、滝を裏側からライトアップするイベントを開催しています。
鍋ヶ滝公園のご案内
﨑津教会
2018年7月、世界遺産の構成資産として登録された「﨑津集落(さきつしゅうらく)」に立つ、﨑津教会は、長崎の建築家・鉄川与助によって設計されたゴシック様式の教会で、現在の教会は、1934年(昭和9年)、フランス人宣教師ハルブ神父の時代に再建されました。教会の中が畳敷きという非常に珍しい特徴があり、また、この教会は絵踏みが行われていた庄屋屋敷をハルブ神父が買い取り、祭壇を置いたと言われています。現在も信仰の場であり、教会堂へ至る道が聖体行列や﨑津諏訪神社の祭りの空間として共有されるなど、﨑津教会とその周辺景観は重層する歴史を表しています。
天草の﨑津集落のご案内
﨑津諏訪神社のご案内
はるか昔、日本神話の世界において、天照大御神は地上を治めるために、孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に『三種の神器』を持たせて、筑紫の日向の襲の高千穂峰(現在の宮崎)に降臨させました。高天原から地上へ向かう途中の道案内役は、猿田彦神です。地上に降り立った瓊瓊杵尊は、すぐに木花開耶姫命(このはなさくやひめ)とめぐり会い結婚し、二人の息子が誕生。いじめられっ子の弟の山幸彦(やまさちひこ)は、兄の海幸彦(うみさちひこ)の大切な釣り針をなくしたことがきっかけで、海の神様の娘、豊玉姫(とよたまひめ)と出会いめでたく結婚し、幸せを手に入れたという、のちの浦島太郎伝説の原型がつくられました。豊玉姫の子孫はやがて初代天皇の神武天皇となり、東征し大和朝廷を開き、日本の歴史が始まります。
高千穂峡
太古の昔、阿蘇山の火山活動によって噴出した火砕流が冷え固まり侵食された断崖がそそり立つ峡谷で、高いところで100mもある断崖が東西に約7kmに渡って続いており、国の名勝・天然記念物に指定されています。峡谷内には日本の滝百選に指定されている名瀑「真名井(まない)の滝」があり、高千穂峡のシンボルとなっています。神話によると、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨の時、この地に水がなかったため、天村雲命(あめのむらくものみこと)という神様が高天原に上がり、この場所に水種を移し真名井の滝が誕生したとされています。
高千穂観光イラストマップ
高千穂神社
高千穂神社は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)や木花開耶姫命(このはなさくやひめ)をはじめとした高千穂皇神(たかちほすめがみ)と称される神様6柱及び、十社大明神(じゅっしゃだいみょうじん)と呼ばれる10柱の神様など、日本神話の中で重要な役割を果たした神々を祀る神社です。現在の社殿は1776年に再建されたもので、五間社流造(ごけんしゃながれづくり)と呼ばれる、屋根が「への字」型に大きく湾曲し、前方へ向けて突き出たような形状の建築様式で、九州を代表する社殿です。2004年(平成16年)国の重要文化財に指定されました。縁結びや夫婦円満、農産業の発展や厄払い、そして諸願成就など沢山のご利益があるとされています。
高千穂神社のご案内
夜神楽のご案内(期間限定)
高千穂神楽のご案内(365日)
天岩戸神社と天安河原(あまのやすかわら)
天岩戸(あまのいわと)神社は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀っている神社です。西本宮と東本宮があり、西本宮のご神体とされているのが天照大御神がお隠れになった洞窟です(間口が18m、奥行き9m)。この拝殿のすぐ裏側には岩戸川が流れており、拝殿前に立ってもご神体を見ることはできないため、ご神体の近くに行きたい方は、社務所でお願いして「天岩戸遥拝所」に案内していただく必要があります。天岩戸神社から歩いて10分ほどの所に、「天安河原(あまのやすがわら)」があります。渓流が作った河原と洞窟が一体となった場所で、参拝に訪れた人々が積み上げた石が、まるで神が座った場所をあがめるかのように残されています。ここは天照大御神が岩戸にお隠れになった際に、神々が集まって天照大御神が出てくるように相談をした、とされる重要な場所です。間口が40m、奥行きは30mという大洞窟には「仰慕窟(ぎょうぼがいわや)」という名がついており、中には社もあります。
天岩戸神社のサイト
都萬神社と西都原古墳群
都萬神社(つまじんじゃ)は、瓊瓊杵命(ににぎのみこと)の妻、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祀る神社です。天孫降臨で降り立った瓊瓊杵命が、木花咲耶姫にひとめぼれして求婚し結婚したことから、日本で最初に結婚式を挙げた神様を祀る神社として、古くから幸せを求める女性の参拝者が多い神社です。神社から車で10分ほど離れた場所に300基を超える古墳が並ぶ「西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)」があります。古墳群はこの地を支配した豪族のお墓といわれています。古墳群の中には、ひと際大きな二つの古墳、男狭穂塚(おさほづか)と女狭穂塚(めさほづか)があります。伝説では、瓊瓊杵命と木花咲耶姫が仲睦まじく眠っていると伝えられています。
また、西都原古墳群にはこのような伝説もあります。木花咲耶姫に一目惚れをしたのは、実は瓊瓊杵命だけではなく、鬼も姫に一目惚れし、嫁にしたいと求婚しています。姫の父親の大山津見神(おおやまつみのかみ)は鬼に「一夜で窟(いわや)を造ってくれたら、娘をやろう」といい、鬼はなんと夜が明ける前に造ってしまいました。翌早朝に様子を見に行った大山津見神は、完成した窟を見てびっくり仰天!。完成させて安心した鬼がうたた寝をしている間に、窟の石を1つ抜いて遠くに放り投げ、鬼の求婚を断ったと言うことです。なんとも哀れな鬼の話ですが、その窟が『鬼の窟古墳』として残っています。
都萬神社のサイト
西都原古墳群のサイト
青島神社
青島神社は、周囲1.5kmほどの小さな島にあり、建造年代は不明です。島全体が神聖な場所とされており、かつては一般人が入ることは許されませんでした。現在は青島にかかる弥生橋を渡って参拝することができます。島の周囲には干潮時に現れる「鬼の洗濯板」と呼ばれる奇岩の景色が広がり、国の天然記念物に指定されています。
神話では、瓊瓊杵命(ににぎのみこと)と木花咲耶姫(このはなさくやひめ)との間に生まれた二人の息子が登場します。主人公は弟の方で、浦島太郎のモデルにもなっている神様「山幸彦(やまさちひこ)」です。彼は兄「海幸彦(うみさちひこ)」から借りた大事な釣り針を失くしてしまいます。賢明に探し回っていたところ「塩筒大神」という神様にアドバイスを受け、海の宮殿へ向かいます。そこで出会ったのが、女神「豊玉姫(とよたまひめ)」です。彼らはすぐに恋に落ちて結婚し、豊玉姫の助けもあって釣り針も見つかりました。そして、兄に釣り針を返した場所が青島です。現在、本殿には「山幸彦」「豊玉姫」「塩筒大神」の三神が祀られています。青島神社で最も強力なパワースポットと言われてるのが「元宮」です。元宮は青島のちょうど中心に位置しており、大元の社殿はここにあったとされています。
青島神社のサイト
鵜戸神宮
鵜戸神宮(うどじんぐう)は、宮崎空港から車でおよそ50分の距離にあります。まず最初に鮮やかな朱色に塗られた二つの門、神門と桜門をくぐります。楼門の二階部分は、左に櫛磐窓神(くしいわまどのかみ)、右に豊磐窓神(とよいわまどのかみ)の御門神を祀る「門守社」となります。門をくぐる時は一礼を忘れずに。楼門を抜けると、右に左にと緩やかなカーブの参道が続き、「千鳥橋」と「玉橋」の二つの太鼓橋の先に、本殿へと下る石段が見えてきます。石段を降りた先に本殿がある「下がり神社」で、群馬県・一之宮貫前神社と熊本県・草部吉見神社に並び「日本三大下り宮」の一つとされています。社殿は、本殿と幣殿(へいでん)と拝殿が一体となった権現造(ごんげんづくり)で、波浪によって岸壁が浸食されてできた洞窟に、すっぽり納まるように建てられています。
鵜戸神宮は日本神話の「山幸彦・海幸彦」の伝説の舞台となった場所として知られ、山幸彦の妻である豊玉姫が出産するために、本殿の建つ洞窟に産屋が用意されたと伝えられています。
社殿の裏側へ進むと、豊玉姫が海に帰る際に我が子のために置いていった乳房が岩になった「お乳岩」が残っていて、岩から湧き出る「お乳水」を飲むと安産や身体健全などの御利益があるといわれています。
なお、参拝は歴史ある旧参道を苦労して上る「八丁坂参道」もあります。健脚の方は往路に八丁坂参道、復路は新参道を利用して参拝するのもお勧めです。
鵜戸神宮のサイト
九州の南端に位置し、温暖な気候に恵まれる鹿児島県は、雄大な桜島や世界遺産の屋久島、いたるところから湧き出る温泉、黒牛・黒豚、黒酢・黒糖など「黒」に代表される食文化が根付いており、質の高い素材に溢れています。古くから交易の中心地として栄え、鉄砲やキリスト教の伝来の地としても有名であり、その海外との長い交流の歴史・文化は、薩摩切子や大島紬などの伝統工芸や、焼酎づくりの技術など、今も県内各地に息づいています。また、明治維新においては西郷隆盛をはじめ幾多の人物を輩出するなど、中世から近代に至るまでの豊富な歴史も、鹿児島の大きな魅力の一つです。
桜島 錦江湾に浮かぶ、鹿児島のシンボル「桜島」は、北岳・南岳の2つの主峰から成る複合火山です。霧島錦江湾国立公園に指定され、散策に適した溶岩遊歩道の途中には、絶景を望める展望所も複数あります。海沿いの露天風呂を楽しめる「古里温泉郷(ふるさとおんせんきょう)」や錦江湾を見晴らせる日本最大級の足湯などもあり、観光スポットが盛りだくさんです。桜島は約26,000年前に誕生し、17回の大噴火を繰り返してきました。1914年の大正噴火で流れた溶岩によって、海峡が埋め立てられ、島は大隅半島の一部となりました。現在も毎日のように小規模な噴火を繰り返しています。大噴火や土石流など、火山災害を受けながらもこの地に人々が暮らすのは、どうしてでしょうか。それは火山のもたらす恵みがあるからです。桜島大根、桜島小みかんといったおいしい農作物、日々の疲れを癒す豊かな温泉、山や集落の美しい景観は、すべて火山の恵みです。現在の噴火も日常生活の一部となり、桜島の人々は、火山とともに暮らしています。
みんなの桜島サイト
仙巌園(せんがんえん) 仙巌園は、薩摩藩の第2代藩主で、島津氏第19代当主の島津光久(しまづ・みつひさ)が1658年に造った日本庭園です。借景技法を用い、桜島を「築山(人口の山)」に、鹿児島湾を「池」に見立てた素晴らしい景色と広大な庭園が特徴で、1958年に国の名勝に指定されました。周囲の自然を庭の一部にしてしまう「借景庭園」は、島根の足立美術館の庭園など、いくつかの日本庭園で取り入れられています。幕末には第28代当主の島津斉彬がこの敷地の一部を使ってヨーロッパ式製鉄所やガラス工場を建設するなどの近代化事業(集成館事業)を起こしました。1857年には、園内の石灯籠にガス管をつないで点火させ灯火として用いたことから、日本のガス灯発祥におけるルーツの一つとして挙げられる場所にもなっています。2015年、仙巌園一帯は、「明治日本の産業革命遺産」として「世界文化遺産」に登録されました。
仙巌園公式サイト
霧島神宮 霧島神宮は、南九州屈指のパワースポットとして知られています。およそ1500年前、欽明天皇の時代に慶胤(けいいん)という僧が高千穂峰に社殿を建てたのが始まりで、高千穂の峰の度重なる火山噴火で焼失し、現在の場所に今から300年前に遷宮されました。主祭神は、神話の世界で天照大御神の命により高天原から地上に降りたと伝わる(天孫降臨神話)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)です。華麗な社殿は1715年、薩摩藩の第4代藩主の島津吉貴によって建立されました。本殿は柱、梁なども全てが朱漆塗りで、彩色文様や飾り金具で装飾され贅を尽くした豪華絢爛な佇まいです。境内には、新婚旅行で訪れた坂本龍馬も感動した「神官の姿が浮かぶ」樹齢800年のご神木が立っています。また、「霧島七不思議」と呼ばれる、不思議な現象やスポットがあります。「風穴」「亀石」「御手洗川」「両度川」「蒔かずの種」「文字岩」「夜中の神楽」の7つで、これらの一部を霧島神宮内で見ることができます。
霧島神宮公式サイト
霧島七不思議のご案内
龍宮神社龍宮神社は、ウミガメの産卵地で有名な長崎鼻(ながさきばな)という岬がある、指宿市にあります。浦島太郎と乙姫でおなじみの「龍宮城」をモチーフとした神社です。主祭神は、日本神話に登場する豊玉姫(とよたまひめ)で、乙姫のモデルとなった女神様です。縁結びの神様としても知られ、白い貝殻に願い事を書く「貝殻祈願」ができます。賽銭箱に祈願料100円を投入してから、白い貝殻に願い事をマジックで書いて亀壺に奉納します。願い事を書いた貝殻は、なんと境内右奥にある貝塚で永久保存されます。また、長崎鼻の対岸には、薩摩富士とも呼ばれるきれいな三角形をした「開聞岳(かいもんだけ)」があります。海を挟み、遮るものが何もないため絶好の撮影スポットとして人気があります。
龍宮神社のご案内
白谷雲水峡(しらたにうんすいきょう)
屋久島北部を流れる宮之浦川支流の白谷川の渓谷「白谷雲水峡」は、世界遺産の島「屋久島」の原始の森を散策できるトレッキングスポットとして知られています。屋久島の原生林の自然を容易に観賞できる場所として、昭和49年に屋久島自然休養林に指定されました。渓流沿いにはサツキ、ホソバハグマ、ヤクシマショウマなどがみごとな群落をつくっています。推定樹齢3000年の弥生杉、奉行杉、七本杉等、太い屋久杉も見られ、樹上にはナナカマド、コバンモチ、カクレミノ、サクラツツジ、タイミンタチバナなどが着生しています。また、日本蘚苔類学会が「日本の貴重なコケの森」に制定した日本有数の苔スポットでもあり、石や木など、すべてのものが緑色の苔で覆われた幻想的な世界が広がっています。この幻想的な森は、宮崎駿監督がアニメ映画「もののけ姫」に出てくる原始の森のモデルにしたと言われています。そのほか、花崗岩の隙間を流れ落ちる飛流おとし等、至るところで見事な滝が見られます。楠川歩道は江戸時代に花崗岩を駆使して設けられた歩道で、現在も散歩コースの一つとして活用されています。
トレッキングルートは3つあります。なかでも「太鼓岩往復コース」+「辻の岩屋」+「奉行杉コース」の合計約5時間のルートがおすすめです。
※弥生杉コース(約1時間)/奉行杉コース(約3時間)/太鼓岩往復コース(約4時間)
白谷雲水峡案内図
ヤクスギランド
ヤクスギランドは安房川の支流、荒川の上流にある自然休養林で、安房市街地から約16km、標高1,000のところに入口があります。
遊歩道が整備されており年間を通して楽しめます。森林生態系保護地域の保全利用地区として、人気の屋久杉や苔、渓流を気軽に楽しみながら、屋久島の歴史や植生についても学べる場所です。ハイキングコースは、30分から150分までの4コースあります。ガイドなしでも楽しめるので、体力やスケジュール、当日の天気に合わせて決められます。整備された歩道を歩く「ふれあいの森コース」と「いにしえの森コース」は、距離も短いので歩きやすい靴があればで大丈夫です。山道を歩く「つづじ河原コース」と「やくすぎの森コース」は、夏場なら速乾性素材のTシャツ、上下別のレインウエア、伸縮性のあるズボン、靴下、スニーカーまたは登山靴などがあるといいです。
※ふれあいの森コース(30分/約0.8km)/いにしえの森コース(50分/約1.2km)/つづじ河原コース(80分/約2.0km)/やくすぎの森コース(150分/約3.0km)
ヤクスギランド案内図
縄文杉トレッキング
屋久島といえば縄文杉、樹齢7000年以上といわれるその神聖な姿は、片道約5時間(11km)歩いたところにあります。
※トロッコ軌道は約3時間(8.5km)/登山道は約2時間(2.5km)
最初は平坦なトロッコ道を歩いていくことになりますが、その後、本格的な登山道が始まります。階段を登ったり、木の根や岩だらけの道を歩いたりと、登山道ではとにかくマイペースで歩いていくことが大切です。トロッコ軌道上とウィルソン株周辺の森では、屋久杉伐採の歴史とその後の世代交代によって再生し続ける森が見られます。その後、大王杉、夫婦杉そして目的の「縄文杉」が待っています。
屋久島はとにかく雨の多い地域です。しかもその雨は「らっきょう雨」とも呼ばれるほど、大粒の雨が降ります。そして水はけがあまり良くない登山道は雨が降るとまるで大洪水のようになります。上下のレインウェア、ザックカバー、水はじきの良い登山靴などを用意する必要がありますのでご注意ください。
荒川登山バスの運行状況や時刻表
月-金:09:00~19:00
土日祝:10:00~17:00
〒598-0093大阪府泉南郡田尻町
りんくうポート北5番6