平和への願いに象徴される「平和祈念像」がある長崎は、かつては外国文化を繋ぐ日本の窓口として貿易で栄え、異国情緒のある洋館やゴシック様式の教会といった美しい建造物がたくさんあります。また、閉山した炭鉱都市がそのまま残る「軍艦島(端島)」や、悲しいくらい美しいと言われる、隠れキリシタンと迫害の悲しい歴史を背負った「五島列島」があるのも長崎です。その他に県を象徴するテーマパーク「ハウステンボス」をはじめ、世界新三大夜景スポット「稲佐山」、世界遺産に登録された「旧グラバー住宅」等も有名な観光スポットです。
軍艦島(端島) 長崎市の端島(はしま)は、全体像が軍艦に見えることから通称「軍艦島」と呼ばれています。長崎港から約18kmの距離にあり、現在は無人島です。かつては炭鉱で栄え、炭鉱労働者の居住施設だけではなく、学校、神社仏閣、理髪店や派出所、娯楽施設の映画館まであり、1960年(昭和35年)には5000人を超える住民が生活していました。これほどの住民がいたのは、給料が格段に良かったことが挙げられます。昭和30年代の長崎県民の平均月給が約2万円に対して、島民の平均月給はなんと10倍の約20万円。さらには後に3種の神器と言われた白物家電のテレビ、冷蔵庫、洗濯機の全国普及率が20%程度の頃に、島の普及率はほぼ100%と言われました。やがて時代は石炭から石油へとエネルギー変換し、それに伴って繁栄を誇った島にも衰退が始まりました。そして昭和49年1月に炭鉱を閉山し、4月には全島民が島から離れ無人島となりました。
軍艦島(端島)へは上陸許可が必要で、上陸ツアーに参加する必要があります。長崎港から出発するツアーは複数の会社があり、人気が高いので事前申込が必須です。ツアーではドルフィン桟橋と呼ばれる場所から上陸します。そこから整備されている観光ルートを左方向に進み、島の西の端、鉄柱古城付近まで行って戻ることになります。途中では様々な施設、建物の様子を見ることができます。観光中は指定されたルートから外れることは許されません。また島にあるものは持出厳禁ですのでご注意ください。現在、年間で上陸できる日数は100日程度で、建物の劣化も進み、将来的には立入規制される可能性もあります(2015年世界文化遺産に登録)。
軍艦島の紹介サイト
旧グラバー住宅 2015年に世界遺産に登録された「旧グラバー住宅」は、「グラバー邸」の名でも親しまれる和洋折衷の美しい洋館です。若くして幕末の日本へ渡り、炭坑や製鉄業で財を成したイギリス商人グラバーは、実は武器商人でもありました。坂本龍馬や後藤象二郎などをはじめ、多くの志士たちと交流を持ち、裏で支えていたとされ、数々の大河ドラマでも描かれる幕末史の超重要人物です。旧グラバー住宅は、1863年のまさに幕末の動乱期の建築で、現存する日本最古の木造洋風住宅として、昭和36年には国の重要文化財に指定されています。広く開放的なこのベランダ様式は、「コロニアルスタイル」と呼ばれ、寒冷なヨーロッパから来た西洋人がアジアの暑さから逃れるため、陽射しを遮り風通しを確保するための工夫が施されています。また、ベランダを覆う屋根には伝統的な日本瓦が用いられており、棟の先端には厄よけの鬼瓦までしつらえてあり、グラバーの日本に対する想いが表れています。
旧グラバー住宅公式サイト
稲佐山公園
長崎の夜景は 2012 年にモナコ、香港とともに世界新三大夜景に選ばれ、2015 年には札幌、神戸とともに日本新三大夜景都市にも認定されています。標高333mの稲佐山からは、1000 万ドルともいわれる美しい景観が見られます。長崎港を中心に山々がそびえ、斜面に立ち並ぶ家々の明かりが立体的な夜景を演出してくれています。特に平和公園がある北部方面は山の谷間に光が連なるため、その様子はまるで天の川のようです。山頂展望台は2011年4月にリニューアルされ、山頂まで一般車で上ることができるようになりました。山頂展望台には、屋外に螺旋階段が設置されたため、24時間夜景を利用できます。室内展望室は22時までですが、夜景をみるなら屋外展望台がお薦めです。
稲佐山公園サイト
原城跡(はらじょうあと)
原城跡(はらじょうあと)は、島原半島の南部に位置する半島唯一の世界遺産です。目の前を有明海、背後に雲仙岳を望む小高い丘からなる風光明美なスポットです。徒歩約10分の場所では温泉が湧いており、温泉施設「原城温泉 真砂(まさご)」にて温泉やお食事を楽しむこともできます。車で5分ほどのところに、島原・天草一揆を詳しく紹介する「有馬キリシタン遺産記念館」があります。
島原の乱について
島原の乱(1637年12月~1638年4月)は、江戸時代初期に起こった日本の歴史上最大規模の一揆で、幕末以前では最後の本格的な内戦といわれています。島原藩の藩主である松倉勝家が行った悪政が原因で、度重なる重税と飢饉に耐えかねた住民が遂に一揆を起こしました。若干16歳の天草四郎を総大将に、長崎県の島原半島と熊本県の天草諸島の領民(一揆軍)は、島原にある原城跡に合流して籠城し、徹底抗戦しました。籠城は約3か月に及び、幕府軍の攻撃とその後の処刑によって籠城した老若男女37,000人は全員死亡しました。唯一の生き残りは、内通者だった絵師の山田右衛門作(やまだえもさく)だけであったと言われています。
いま蘇る、キリシタン史の光と影(第7話)
雲仙温泉郷
雲仙温泉郷では、「雲仙地獄」や「温泉神社」、空中散歩を満喫できる「雲仙ロープウェイ」などが有名です。
雲仙ロープウェイ/仁田峠駅から妙見岳駅間の約500mを結び、約3分かけて運行します(標高差約174m、海抜1300m)。空中散歩が満喫できるゴンドラは足元近くも見られるような広い窓が特徴で三線交走式。四季折々の景観が美しく、妙見駅にある妙見岳展望所からは普賢岳、平成新山を望むことができます。
雲仙地獄/噴気孔から白い蒸気が吹き上がり、非日常的で荒涼とした風景が広がります。地面は白い土でおおわれ、あたりには硫黄のにおいが漂います。雲仙地獄には遊歩道が整備されており、大叫喚地獄やお糸地獄など全部で30余りの地獄が見られるので、散策しながら独特の風景が楽しめます。
温泉神社(うんぜんじんじゃ)/雲仙地獄に隣接するように鎮座する温泉神社は、島原半島の各地に点在する温泉神社の総本山です。パワースポットとしても有名で、境内にある樹齢200年を超える柿の木「夫婦柿」は、恋愛成就に効くとされています。
雲仙温泉郷サイト
月-金:09:00~19:00
土日祝:10:00~17:00
〒598-0093大阪府泉南郡田尻町
りんくうポート北5番6